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​とある長閑な午後の出来事

 その日エルーテは、城で飼われているという犬を見に来た。

 ウサギやリスを見て心を和ませている最中に、シャルがやってきて教えてくれたのだ。ウサギやリスだけではなく、犬も見られる、と。

(何匹かいるって、聞いたけれど……)

 裏庭に、少し大きめの犬舎が建てられていた。雨風がしのげるよう、きちんと屋根がついている。一見して小さな物置小屋のようでもあり、すぐには犬舎とわからないだろう。

 エルーテは檻の隙間から、中を覗き込んだ。すると、すぐに嬉しそうに八匹の大きな犬たちがやってくる。見慣れない人間に、興味津々のようだ。檻の中に入ると、エルーテは犬たちにあっという間に囲まれて、一瞬で揉みくちゃにされた。

「わ」

 体がよろけ、転んでしまった。そのままエルーテは犬たちに囲まれ、顔を舐められたり、匂いを嗅がれたり、体の上へ乗られたりする。

(すごく喜んでくれているけれど、ちょっと苦しい)

 困っていると、まるで威嚇するかのような、大きな犬の鳴き声がした。それとともに、エルーテのそばにいた犬たちが一斉に退く。

「いたた……。ん?」

 奥に、もう一匹犬がいた。全身が赤褐色の犬だ。フンッ、とそっけない態度であり、ため息をついている。

(この犬、どこかで見たことがあるような……)

 どうやら犬たちのボスのようだった。エルーテはそばにゆっくり近づき、赤褐色の犬の顔を眺める。

「……あ。ラルケス様にそっくり……」

 目元がよく似ていた。手を近づけてみるのだが、反応はない。警戒させないように、そっと犬の頬を撫でるのだ、全く動かなかった。

「あ、首輪にネームプレートがついてる……」

 名前はラスとなっていた。

(ラルケス様の名前に、ちょっと似てる)

 そう思うと、益々赤褐色の犬がラルケスに見えた。エルーテに興味がないといった態度も、そっくりだ。

「こんにちは、ラス。私はエルーテって言うの」

 ラスの頭や背中を撫でた。

「ラスは、ラルケス様にそっくりね。あ、ラルケス様というのは、私の大切なお方でね。すごくいじっぱりで陰険で性格が悪くて、素直じゃないの」

 ラルケスに似ていると言ったら、ラスに失礼だろうか、と暫し悩んでしまった。

「でもね、ラルケス様は本当はとっても優しいんだよ。私が階段から落ちて怪我をしたときも、部屋まで運んでくれたし、私が熱を出して寝込んだときも、ずっとそばで看病をしてくれてね」

 思い出して、胸がきゅっ、となった。彼は普段、愛想がなくて冷たい。だというのに、時折嘘のように優しくなる。

「……お祭りの日。ラルケス様が手をつないで歩いてくれたんだけれど、嬉しかったな……」

 そこでふと、思い出した。意中の相手と一緒に祭りの日を過ごせば、その相手と結ばれるというジンクスを。

(あの日一緒に過ごした相手は……)

 ラルケスだ。だが彼はきっと、ジンクスのことなど知らないだろう。

「エルーテ。そこでなにをしているんです」

 突如声がして、驚いた。たった今考えていた相手が、檻を挟んだ向こう側に立っていたからだ。

「ラルケス様! どうしてここに……」

「あなたがここへ入っていくのが見えたので、なにをしているのかと様子を見に来ました」

 エルーテはあぁ、と頷いた。そしてラスへ振り返る。

「この子が、ラルケス様にそっくりだったので、可愛がっていました」

「……私が、その犬に?」

「はい。愛想がないところとか、目元とか……」

「では、あなたはその犬と結婚をしたらどうです。犬が私に見えるなら、犬と結婚をしてもいいでしょう」

 エルーテは目を見開いた。

「そんな! 私が結婚をしたいと思う相手は、ラルケス様だけです! この子じゃありません!」

「そうですか」

「あ、そうだ。ラルケス様」

「はい」

「祭りの日のジンクスを、ご存知ですか?」

 ラルケスは嫌そうにした。眉間に皺を刻んでおり、面倒そうにする。

「祭りの日に、意中の相手と過ごせば、その相手と結ばれる、というあのくだらない迷信ですか?」

 エルーテは頷いた。

「知って、いたんですね」

「えぇ。毎年、男女ともに盛り上がる話題ですからね。本当にくだらない……」

「くだらない迷信なんかじゃありません」

「は?」

「だって、私がそのジンクスは本当だって、証明するからです。ラルケス様と私が結ばれたら、そのジンクスは本当だったって、証明されるでしょう?」

 微かに照れながら、そう言った。ラルケスはなるほど、と納得する。

「その迷信が本当となった暁には、今後それを売りにして観光客を呼び込んでもいいでしょうね」

「え! じゃあ、私と……」

 ラルケスはエルーテへ微笑んだ。

「別に、私とあなたに限定をする必要はないでしょう。私の配下にいる有能な騎士の中にも、祭りの日に恋仲となった者がいますし」

「で、でも、領主の名前のほうが、大きな集客が見込めると思います」

「むしろ逆ですよ。あなたは、私がなんと噂されているか、ご存じでしょう。悪魔、ですよ」

「いいじゃないですか! 悪魔も恋に落ちた、ってとてもインパクトがあると思います!」

 ラルケスはエルーテの姿をまじまじと見つめた。やがて、フッ、と笑う。

「犬の毛と涎にまみれた姿で、なにを言ってるんです。犬と遊び終わったら、きちんとお風呂へ入るように。では、私は失礼します。あなたと違って忙しいので」

 ラルケスはそのまま、立ち去って行った。エルーテはラスの頭を撫でながら、少し落ち込む。

(そういえば、ラルケス様、なんの用事で裏庭まで来たんだろう。裏庭に用事でも、あったのかな)

 エルーテは首を傾げたが、わからなかった。

 

 

「エルーテ様とのお話は、もうよろしいのですか? まだ休憩時間は五分ほど残っていますが」

 シャルに声をかけられ、ラルケスは頷いた。

「いえ、もう充分です。いい息抜きができました。……そうそう、さっきとても珍しい光景を見ました」

「珍しい?」

「えぇ。あの、人に懐かなくて可愛げのないラスが、エルーテに体を触らせていました」

「……! 確か、前の飼い主に虐待を受けていたのを、ラルケス様が保護した犬ですよね」

「そうです。私には懐いていますが、私以外には体を触らせませんし、他人が近づこうとしても威嚇をして許しません。だというのに、あのエルーテには大人しくくっついていました」

 シャルは最初こそ驚いていたものの、すぐに納得した。

「さすがは、エルーテ様ですね。ラルケス様だけではなく、あのラスまで手懐けるとは……」

「どういう意味です。私はエルーテに手懐けられた覚えはありませんが」

「……、そうですね。申し訳ありません」

 シャルは表面上は謝罪をしたが、本心はそうは考えていないだろう。

(シャルは、年々可愛くなくなっていきますね……)

 仕え始めた頃は従順で大人しかったが、最近はお構いなく発言をする。時折痛烈な発言をするときもあるが、ラルケスはそれを許していた。

「シャル。部屋へ戻ります」

「承知いたしました」

 シャルはラルケスの背後につき従って、歩き始めた。

 とある長閑な午後の日の出来事だった。

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