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​シャルの仕事

 シャル・クラートリーは、主であるラルケス・ウィストリアムより受けた、ある命を思い出していた。
『問題を起こしそうな男性は、全員エルーテから遠い場所での仕事を命じてください』
『承知いたしました。では、彼らに南方の別荘の掃除と、港の警備を任せます』
 主の命を、速やかに実行に移すのが、シャルの役目だ。ラルケスはシャルにとっての唯一絶対の存在であり、彼が死ねと言えば死ぬほどの忠誠心を抱いている相手。元々シャルは、奴隷だった。シュバール国では、奴隷は珍しくなく、当然のようにいる存在。シャルは純粋なシュバール国人ではなく、シュバール国と争った少数部族との間に産まれた。戦時中はよくあることだが、つまり母親は強姦され、孕まされたのだ。その後シャルは物心つくまで母親たち家族と一緒に暮らしていたが、その暮らしは決していいものではなかった。なぜなら、敵方の血を濃く受け継いだ息子へ、家族全員が辛く当たったからだ。食事はお情け程度与えられたが、基本は放置。そうして暫くの後、シャルはごく僅かなお金と引き換えに、奴隷商人へ売られたのだ。
 競売にかけられたシャルを買ったのは、フレリンド王国に暮らすとある豪族。そこでシャルは凄絶な訓練を受け、ありとあらゆる人の殺し方を教わった。その豪族にとって邪魔な者は、次々と暗殺していったのだ。しかしながら、その豪族はあまり頭が良くなかったのだろう。自らにとって都合の悪い者を淘汰していった結果、眠れる獅子を起こしてしまった。
 ――そう。ラルケス・ウィストリアムを、怒らせたのだ。
 豪族にとって都合の悪い存在だとしても、ラルケスにとって都合が悪い存在とは限らない。つまり彼にとって都合の良い存在を消され、報復されたのだ。こうして、豪族は元から存在していなかったかのように、消された。
 シャルも当然、殺されてもおかしくなかった。しかしながら、どういう気まぐれか。ラルケスはシャルを殺さなかった。
『あなたもシュバール国人との混血なんですね。滅多にこういうことは言わないのですが、あなたに選択肢をあげましょう。惨たらしく死ぬか、それとも私に忠誠を誓って死ぬか、どちらがいいですか?』
 どちらも死ぬことを前提に話をされたが、シャルは後者を選んだ。そうしてラルケスの元で更に剣術や暗器の腕を磨き、様々な教育を受けさせられた。語学や計算の仕方、城の仕事や政治のことまで。これまで、できなければ即座に殺されるという無慈悲な環境にいたせいか、物覚えは良かった。次第にラルケスに気に入られ、側近として仕事を許されるようになったのだ。そうしてそばで仕える内に知ったのは、ラルケスはとても恐ろしい人物だということ。裏で根回しや画策は勿論のこと、人心を操る術にも長けている。しかしながら、そんな彼でもどうにもならない相手が、二人現れた。一人は、ラルケスの親友。もう一人は、妻にして欲しいと押しかけてきたエルーテだ。
(ラルケス様は、近頃とても楽しそうだ)
 彼はいつも、一日の仕事が終わった後に、エルーテがどんなことをして過ごしていたのか、その報告を必ず聞くのだ。シャルが知る限り、彼が特定の女性に興味を抱いている姿を見るのは、初めてのこと。
(エルーテ様はとてもお可愛らしい方だし、無理もない。でもあの方は……)
 気さくで誰に対しても友好的。そして相手を警戒させず、すぐに親しくなる。しかしながら、シャルが違和感を覚えたのは、彼女が城へ暮らすようになって暫くのこと。彼女は他者と打ち解けて仲良くなる能力を持っているが、それは生まれ持った天性のものではないと、気づいたのだ。
(普通の生活ではまず身につくはずのない、能力)
 敏感すぎるほどに相手の感情を察知し、相手に気取られないように常に顔色を窺っている。それがわかったのは、シャルも同じだからだ。過酷な環境下に暮らし、常に自分以外の他者を観察してきた。それは決して自然と身につくものではなく、必要にかられて会得したものだ。
(気配りが上手で、優しい。だが、それ以外の顔が見えてこない)
 まるで分厚い胡桃の殻にでも覆われているかのように、素顔が見えないのだ。そしてそれは、ラルケスも当然わかっている。どうにか彼女の本心を引き出そうと挑発しているが、今のところ失敗に終わっているのが現状だ。
(ニオイがしない)
 通常はどんな人間でも、我欲がある。シャルはそれをニオイとして嗅ぎ分けることができるのだが、彼女からは感じないのだ。おそらく自己犠牲愛が強いせいだと思うのだが、とても恐ろしくなった。
(いったい、どんな環境下で育ったら、あんな方になるのか)
 実を言うと、シャルはエルーテが城へ訪れる前から、存在を知っていた。会ったことはないものの、噂では知っていたのだ。彼女の兄は王国随一の剣の腕前を誇る、イザール。その彼が溺愛しているのが末妹だというのは、有名な話。というのも、末妹の結婚相手は、自身より強い男性としか認めないと、本人が言いふらしているからだ。これには周囲の反応も同情的で、末妹は一生結婚できないだろうと囁かれていた。
(以前エルーテ様の調査を行った際、評判は芳しくなかった。姉たちの評判は良かったが……)
 しかしながら実際の彼女は頭がよく、事前に調査で得ていた情報とは大きく異なっている。
(調査では、素行不良の娘だったが、なぜそんな調査結果となったのだろう。なんらかの手違いがあったのだろうが……)
 少しして、シャルは自分に驚いた。普段他人に無関心な自らが、エルーテに関しては好意的だからだ。
(早々に、調べなければ)
 シャルは裏で様々な仕事を行う部下たちを招集すると、ただちに命令した。


 翌日から、シャルは早速主人の言いつけを実行に移すことにした。エルーテの肩や背中など、頻繁にボディタッチをする男性や、デートへ誘おうとした者、愛の告白をしようと待ち伏せしていた者たちを、次々に遠方の仕事場へ移したのだ。中には重要な職務についていて遠方へ移せない者もいた。そういう人物には、裏から手を回し、エルーテに近づけないようにしたのだ。
(……わかってはいたが、エルーテ様はモテすぎる……。なんというお方だ……)
 男女問わず人気があり、特に男性はエルーテの人当たりのいい笑顔に惚れてしまうようだった。ラルケスは彼女のことを考えて、フィルラング領主の娘ということを隠しているが、どうもそれが裏目に出ている。周囲の者たちはエルーテが貴族だと知らないため、アプローチをするのだ。エルーテは色目など使わないし、男装もしているし、わりと地味な外見だ。だがそういったところが余計に、距離の近さを錯覚させてしまうのだろう。
 そうして二日が経った頃。シャルは心の中で溜息をついていた。
(ここ数日で二十人ほど処理した。……ラルケス様はエルーテ様に監視兼護衛をつけているが、正解だったな。もしも間違いがあっては、大変だ)
 未婚の娘が未婚の貴族の男性の城へ長期滞在をしては、エルーテにとってよくない噂が流れる。そうならないよう、ラルケスはエルーテのことを伏せているのだ。
(身分を明かすことができれば、哀れな男性も減るだろうに……。だがそれだと、エルーテ様の名誉に関わる)
 普段冷酷無慈悲な主と一緒にいるせいか、エルーテを見ていると癒された。自分では自覚がなかったが、知らぬ間に心が摩耗していたのかもしれない。先日エルーテが城の裏庭でリスやウサギと戯れていたのだが、わりと本気で女神は実在していたのだと思ったほどだ。実際は、城の裏庭にいるリスやウサギは餌付けされているので、人間に慣れているだけなのだが。
(あのラルケス様が、エルーテ様をそばにいることを許すぐらいだ。エルーテ様は凄い)
 主が相当気難しい性格をしているのを、よく知っていた。ラルケスは身分も金もあり、尚且つまるで悪魔のような妖艶な外見をしている。しかも毒花のように他者を惹きつけるため、一目惚れをする女性が後を絶たないのだ。本人も自らの外見が美しいことを自覚しているため、その姿をよく利用している。相手に高圧的な態度をとるときや、自らの発言に注目を得たいときなど、抜群の効果を持つからだ。
(あの方は、利用できると思ったものは、なんでも利用する。たとえ自分の疎ましく思っている外見であっても)
 夕食の時間になると、シャルはいつもラルケスとエルーテの給仕を行う。エルーテはどうにかラルケスの気を引こうと、今日はどんなことがあったかを話すのだ。楽しみにしていた庭園の花がついに開いたことや、子供たちと遊んだこと、新作のお菓子を味見させてもらったことなどだ。エルーテが何をしていたのかは、ラルケスはきちんと把握している。庭園へ行ったのは掃除の手伝いであり、子供たちと一緒に遊んだのは、教会で暮らす戦災孤児たちを励ますためだ。厨房へ行ったのは、食事を残してしまったことを、謝罪するためだろう。
(そういえば、今夜もあまり召し上がられていない……)
 エルーテは、食欲がないようだった。本人は頑張って食べようとしているが、あまり進んでいるように見えない。ラルケスへ視線を移せば、彼はエルーテがわからない程度に、小さく頷いた。どうやらエルーテの具合が悪いことは、間違いないようだ。
(あとで、部屋へ薬湯をお持ちしよう)
 エルーテの顔色は白く、ふらふらしていた。
「すみません、ちょっと疲れちゃったみたいなので、先にお部屋へ戻りますね」
 よろけたところを、シャルはすかさずエルーテの体を支えた。体へは最低限の接触しかしていないが、それでも体温の高さが伝わる。
「大丈夫ですか? エルーテ様。体調が優れないようですが」
「あ、ありがとう。大丈夫です」
「お部屋まで、付き添います」
「ううん、本当に平気。シャルはラルケス様のところに、いてあげてください」
 そう言って、彼女は食堂から出て行ってしまった。ラルケスは静かに、溜息を漏らす。
「私の風邪がうつったのかもしれませんね」
「ただちに、医者を手配します。おそらく、熱があると思われますので」
「お願いします。私も後で、彼女の様子を見に行きます」
 シャルは食堂を家令に任せ、城へ常駐している医者のもとへ向かった。


 その後、シャルは世にも珍しい光景を見た。それは、ラルケスがエルーテを看病する姿。しかもその日はとても大切な商談の約束や会議があったのだが、彼は全てキャンセルをしたのだ。シャルが知る限り、そのような彼の姿を見るのは初めて。
(ラルケス様は、珍しいものや、手に入れるのが難しいものを欲する傾向にある)
 エルーテは、とても魅力的な少女だ。貴族らしからぬところはあるが、それを上回る魅力がある。
(愛嬌があって優しく、そして皆を和ませてくれる。もしもエルーテ様がラルケス様の奥方になってくだされば、どんなにいいだろう)
 シャルはそう考えて、複雑な心中になった。ラルケスが恐ろしい男性というのは、自身が一番よく知っているからだ。
(ラルケス様と結婚をしたとして、エルーテ様は幸せになれるだろうか?)
 ぐるぐると考えたが、答えは出なかった。

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