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もっと褒めておだててくれたら

 ウィストリアム領にある最大都市アリシャスタでは、毎年秋になると、海の神に感謝をする祭りが行われる。祭りでは港から水揚げされた新鮮な海の幸をふんだんに使い、料理が振る舞われるのだ。
「お祭りがあるの?」
 エルーテは厨房で、切った野菜を平たい籠に並べていた。冬に収穫できない野菜や茸を乾燥させ、保存しておくためだ。今日は備蓄用の食料を作るため、朝から作業を行っていた。普段厨房で働いている男性たちは、肉や魚を塩漬けにするため、貯蔵室がある地下へ入り浸っている。使用人の女性たちは野菜や茸、香草を天日干しにする作業を行っていた。エルーテも一緒に手伝いをしつつ、女性たちから話を聞いていたのだ。
「えぇ、そうよ。とても大きな祭りでね、各地から商人が来て市が立つから、珍しい品物が買えるのよ。アクセサリーや織物、あと異国の雑貨など」
 そう教えてくれたのは、女性の使用人達を統括する家政婦長(ハウスキーパー)のハンナ。四十代らしいが、とても若く見える。シャープな顔立ちをしており、美人な女性だ。最初こそ客人が使用人の仕事をするなんて、と反対をしていたが、今ではエルーテが仕事をしていても黙認してくれている。
「見に行ってみたいなぁ。楽しそう」
「祭りの日は、一緒に見て回る男性はいないの? 祭りの日に意中の相手と過ごせば、その相手と結ばれるっていうジンクスがあるのよ」
 エルーテはラルケスを脳裏に思い浮かべた。
(ラルケス様と一緒にお祭り……。うーん、二人で並んで歩く想像がつかない)
 誘っても、断られそうだと思った。黙り込んでいると、ハンナはぽんと両手を叩く。
「そうだ。祭りの日にあなたを着飾らせていいか、ラルケス様に許可をとってあげる。祭りの日ぐらい、可愛い服を着ないとね。あなたも年頃の女の子だから、一緒にお祭りへ行く人がいるだろうし」
「え……、いいよ、別に。……今のところ、一緒にお祭りへ行く人もいないし」
「よくないわよ。それに忘れていると思うけれど、エルーテ様はお客様なの。お祭りの日に男装姿でふらふら出歩かれたら、ご主人様やこの城の評判に関わるわ」
 その男物の服を用意しているのが城主のラルケスなのだが、エルーテは何も言わなかった。


 その日の夕食。エルーテが食堂へ訪れると、ラルケスは既に着席をしていた。エルーテも着席をすると、彼へ話しかける。
「お仕事、お疲れ様でした。午後からは港へ視察へ行っていたと聞きました」
 温かいチーズのスープや、香辛料で味付けをした貝と野菜を焼いたもの、更に大きな燻製の肉とパンがテーブルの上へ並んだ。ラルケスは上品な料理を好みそうな顔立ちをしているが、実際は体をよく動かしているので、肉や魚を多く食べる。それは、エルーテが見ていて気持ちがいいほどに。
「えぇ。そういうあなたは、相変わらず使用人のお仕事をしていたそうですね」
「はい! 皆とても親切で気さくなので、いっぱいお話ができて楽しかったです」
「もうそろそろ、使用人に転職なされてはどうですか? あなたにとってもお似合いですよ」
「最近はそれもいいな、って思うようになってきました。まぁ、そんな冗談はともかく……、今日は今度行われるお祭りについて、教えてもらいました」
「……あぁ、そういえば、そんな行事がありましたね」
 興味の欠片もなさそうな態度だった。エルーテはちらっ、ちらっ、と彼を盗み見て、そわそわする。
「ラルケス様。もしもよければ、今度のお祭り、一緒に見て回りませんか?」
 彼は優しい表情で微笑んだ。
「え? 嫌ですけど。お断りします。行きたければ、お一人でどうぞ?」
「どうしてすぐに断るんですか! 私は、ラルケス様と一緒に行きたいんです!」
 感情的になるあまり、ばん、とテーブルを叩いてしまった。すぐにハッとし、はしたない行為だったと反省する。ラルケスといえば全く気にしていないらしく、先に食事を始める。
「そうですね。どうしても、というのなら、考えなくもありませんよ。但し条件がありますが」
「条件?」
「祭りの午前中に、この城一番の美女を決めるコンテストがあるんです。毎年開かれている恒例行事なんですが。それに三位以内になったら、考えなくもないですよ。まぁ、あなたには無理でしょうけど」
 フフッ、と笑われ、エルーテは唇を尖らせた。三位以内になど、絶対入れるわけがないと。
(姉様たちみたいな、美人だったらよかったのに)
 そもそも、コンテストになど出たくない。見世物になるのは、苦手だからだ。だが出場しなければ、彼と祭りへ行くことができない。エルーテは怒りを隠さず、ラルケスを睨みつける。
「ラルケス様って、本当に意地悪でひねくれていますよね!」
「あなたという方は……。食事の最中なので、愉快な顔をして私を笑わせないでください」
「笑わせているつもりはありません! 怒っているんです!」
「はいはい」
 黙々と食事をするラルケスに、エルーテは悔しくて仕方がなかった。


 翌日。エルーテは家政婦長のハンナへ泣きついて、相談をした。一緒に祭りへ行きたい人がいるが、美女を決めるコンテストで三位以内にならなければ、嫌だと言われた、と。ラルケスの名を伏せたのは、敢えてだ。彼からここへ来た目的は伏せておくように言われているので、話すことはできない。
「どうしてそんな屑みたいな男と、一緒に祭りへ行きたいの……。もっといい男性、いるでしょう」
 引かれた。無理もない。エルーテでさえも否定できない、性格の悪さだからだ。
「ど、どうしても、その人がいいの! 見返してやりたいけど、私美人じゃないし……」
 家政婦長はエルーテの肩へ手を置いた。
「わかったわ。とびきり綺麗になるよう、協力してあげる」
「いいの?」
 ハンナは、ウィンクをした。
「えぇ、任せて。ここは公爵家の城よ。腕のいい者たちが、全国から集められてる。だから、皆に声をかけて、あなたをお姫様に見えるようにしてあげるわ」
「ありがとう、ハンナ!」
 エルーテはハンナに飛びつくように、抱きついた。


 ――そうしてあっという間に日が経ち、祭りの当日。
 エルーテは自室にて、女性使用人たちに囲まれていた。髪を編み込んでもらい、生花や硝子のビーズがついた髪飾りをたくさんつけられたのだ。絹タフタのドレスは濃い青緑色であり、銀糸で鮮やかな花の刺繍が施されていた。裾には銀糸を編み込んだ細緻なレースが縫いつけられており、胸元には斜方形の青い宝石がついたネックレスが輝いている。薄く化粧もされたのだが、その姿を見た女性使用人たちは、うっとりと感嘆の溜息を洩らす。
「元々の素材はいいだろうとは思っていたけれど、これは化けたわね。ご主人様に費用は好きなだけ使っていいと許可をいただいたから、上等な生地や装飾品を用意したけれど、その甲斐はあったわ。本当にどこかのお姫様に見える……」
 ハンナが驚愕していた。エルーテはもじもじする。
「ありがとう。皆のおかげで、ちょっと自信が持てたかも!」
「あ……、口を開くと、魅力が半減するわね。いつものエルーテに見える」
 これに、協力してくれた女性使用人たち全員が笑った。エルーテはむぅ、と不満そうにする。
「よーし。コンテスト、頑張るぞ! そして、あの人を絶対に見返す!」
「皆で応援に行くから、頑張りなさい。それにしても、本当に大きな胸ね。まさか布で覆って平らにしているとは思わなかったわ。腰も羨ましいぐらいに細いし。……あぁ、そうだ。歩くときは、いつもの大股にならないように、気をつけなさい。走るのも禁止よ。といっても、あなたに貴族のご令嬢のような歩き方はできないでしょうけど……」
「わかった!」
 エルーテは背筋を伸ばすと、呼吸を整えた。
(清楚な歩き方をするの、久しぶりだなぁ……。家でさんざん練習をして体に叩き込んだものだから、忘れることはないんだけれど)
 コンテストへ向かうため、エルーテは部屋の外へ出た。そこで待っていたのは、アルディ。彼はエルーテを見た瞬間、ぽかん、とする。
「え? 誰?」
 エルーテはうんうんと頷いた。
「どう? 綺麗でしょ? 皆がドレスを着せてくれたんだよ! 凄いでしょ!」
「あー、その口調と仕草は、絶対にエルーテだな! せっかくのドレスが台無し。……っていうか、明らかに別人だろ。なんでドレスを着ただけで、こんなに変わるんだよ……!」
 アルディの頬が、なぜか赤くなっていた。
「それは勿論、この城の皆さんの腕がいいからだよ」
 アルディはエルーテの手を掴んだ。そのまま歩き出す。
「はいはい、わかった、わかった。ほら、さっさと行くぞ」
「ありがとう、アルディ。コンテスト頑張るから、応援してね」
「ったく、仕方ないな……。どうせお前を応援する物好きな奴はいないだろうし、可哀想だからしてやるよ」
「うんうん、約束だよ」
 城の中を歩いていると、あれは誰だといった具合に、すれ違った者たちが次々に振り返った。
(あれ? いつもなら、皆名前を呼んで挨拶をしてくれるのに……)
 エルーテはそんなにわからないものだろうか、と不思議になる。
 城の庭園にある広場へやってくると、多くの者たちで賑わっていた。庭園は旗や装飾品で祭りの飾りつけがされており、楽器を演奏する者たちもいる。円形広場には客席が設けられており、檀上や天幕まで用意されていた。客席はもう既に満席であり、立ち見までしている者がいる。コンテストへ出場する者たちは城で勤務する女性だけではなく、外からの参加者もいた。全員美人ばかりであり、衣装は割と派手だ。恐らく目立つためだろう。
(アピールって、なにをすればいいんだろう?)
 一人あたり五分程度のアピールをする時間があるらしく、事前に行われたくじの順で、女性は壇上へ上がらなければならない。エルーテは最後であり、それぞれ女性たちがどんなアピールをしているのか、壇上の横にある天幕で耳を澄ます。
(あの人の作った刺繍、凄い! あ、こっちの女性は、踊り子さんなんだ)
 そこで隣にいたアルディが、壇上でアピールをしている踊り子の女性を見て、首を傾げた。
「あれ? あの人……」
「知ってるの?」
「うん。以前城に踊り子を招いてダンスを披露してもらったことがあったんだけれど、あの人、ラルケス様を誘惑してた人だ、と思って……」
 エルーテはもう一度、壇上にいる踊り子を見た。蠱惑的なプロポーションをしており、ダンスはとても官能的だ。観客にいる男性たちは大いに盛り上がっており、指笛まで聞こえてくる。
(う……。あの女性に勝てる気がしない……)
 エルーテは何か自分に特技があっただろうか、と悩んだ。そうして悩んでいる間に、自分の出番が回ってくる。エルーテは壇上へ上がると、中央に立った。目の前には審査員たちと、観客が大勢いる。
「あの美少女は、誰だ。去年、あんな美少女、出ていなかったよな」
 ざわざわと、観客席が注目していた。
「女神だ! 俺、あの子のファンになった!」
 エルーテが緊張しつつも、名前を名乗った。
「エルーテ・フィルラングです。十七歳です。よろしくお願いします」
 ここで、会場中がどよめいた。
「え? エルーテ? 今、エルーテって言ったか?」
「う、嘘だろ……、別人じゃないか!」
「エルーテって、あれだよな? いつも少年みたいな恰好をしてる……」
 司会者の男性に、話しかけられた。使用人の一人であり、エルーテも知っている人物だ。
「エルーテさん、今日はとってもお美しいですね。見違えました。一体、どんな魔法を?」
「ありがとうございます。家政婦長のハンナさんや、着付けを手伝ってくださった皆さんのおかげです」
 観客席にはハンナたちがおり、応援してくれていた。エルーテは手を振って笑顔で返す。
「早速ですが、あなたの特技はなんですか?」
「特技と言っていいのかわかりませんが、母国語以外に、外国語を三つ話せます。それから、馬に乗りながら弓矢が使えます。あと、本を頭の上に十冊乗せたまま歩くことができます。木登りも得意ですよ」
 木登りと言うと、どっと笑いが巻き起こった。司会者の男性も笑いながら、話を続ける。
「外国語を話せるとは、素晴らしい特技ですね。実際に少し、話してもらってもいいですか?」
 エルーテは頷くと、三ヵ国語を披露した。司会者の男性は、審査員席にいる人物へ目を向ける。
「ウィストリアム公爵様の代理で、特別審査員席にいるシャル様。今の言葉は、合っているでしょうか?」
 シャルは拍手をしていた。
「はい。とてもお見事です。きちんと話せていました。素晴らしい発音です」
 エルーテは、シャルが審査員席にいることに驚いていた。
(代理ってことは、本来ならあの席にラルケス様がいたってこと?)
 ラルケスの審査は相当厳しいと予想できたので、彼がいないことにほっとした。司会者はエルーテへ話しかける。
「では、最後のアピールタイムです。何かありますか?」
 エルーテは観客席へ向かって、声を発した。
「優勝したいので、応援、よろしくお願いします!」
 そう言うと、拍手が起きた。これにてアピールの時間が終了であり、エルーテは天幕へ戻る。アルディはエルーテへ水が入った木の杯を渡した。
「審査結果は三十分後だって。観客による投票もあるってさ」
「三位以内に入れるかな」
「さぁ……?」
 そうして三十分ほど待つと、参加者の女性全員が壇上の上へ来るように指示があった。どうやら結果発表が行われるらしい。エルーテも壇上へ上がると、後ろのほうへ立ってじっとした。まずは三位からの発表であり、女性の名が呼ばれる。去年の優勝者らしく、今年は三位のようだ。
(うー……、三位になれなかった……)
 二位の発表が行われた。ラルケスを誘惑していたという踊り子の女性であり、観客席へ向かって投げキッスをしている。そうして一位の発表となり、司会者の男性が名前を告げた。
「一位は、可憐な美しさで見事な外国語を披露したエルーテ・フィルラング!」
 名前が発表された途端、盛大な拍手が沸き起こった。エルーテは誰の名前が呼ばれたのかわからず、戸惑う。聞き間違いだろうか、と。
「えっと」
「エルーテさん、一位ですよ。優勝、おめでとうございます。観客たちによる、圧倒的な投票数の獲得でしたよ。審査員の方々の評判も、とても良かったです」
 エルーテは壇上の一番前へ立たされた。おめでとう、というお祝いの言葉に、ようやく一位になったことを実感する。花冠を頭につけてもらうと、観客席へ向かって手を振った。
「応援、ありがとうございました!」
 お礼を告げた。そうしてあっという間にお開きとなり、エルーテは壇上を下りて家政婦長のハンナたちと合流する。しかしそこで、観客席にいた騎士や兵士、更には男性の使用人たちが集まってきた。
「エルーテちゃん、これから俺とデートしよ!」
「なんだと! お前となんか、デートするわけがないだろ! 出直してこい!」
「俺と結婚して!」
「うわぁ、近くで見ると益々可愛いなぁ。妖精さんみたいだ……!」
 アルディがエルーテの前に立ち、守っていた。
「下がれよ、お前ら。エルーテにこれ以上近づくな!」
 しかしながら、押し寄せる男性たちの力は凄まじかった。ハンナや女性たちはエルーテを守るように、囲む。
(こ、怖い……!)
 こういう事態が初めてのエルーテは、対処法がわからず怯えた。
 ――だがそこへ。
「なんの騒ぎです」
 凛とした声が響き渡った。周囲の者たちは誰が訪れたのかを察し、ひとまず下がる。アルディはほっとし、ハンナたちは恭しく頭を垂れた。現れたのはラルケスであり、そばにはシャルがいる。エルーテはラルケスと目が合うと、ほっとしたようにおしとやかに微笑む。
「ラルケス様、おはようございます」
 ラルケスはハンナへ問いかけた。
「……、ハンナ。そちらのとてもお美しいご令嬢は、どなたですか?」
 その質問に、ラルケスのそばにいたシャルが一瞬動揺を見せた。観察眼の鋭いラルケスが、エルーテだとわからないことに驚いたからだろう。
「……、エ、エルーテ様です」
 ラルケスは再びエルーテへ視線を戻し、凝視した。信じられないといった表情をしており、少し疑っているようだ。彼がここまで驚いた顔をするのは初めてであり、エルーテはにこにこする。
「お美しいご令嬢? とてもお美しい?」
「いえ、私の間違いでした。最近激務で目が疲れていて……」
 わざとらしく、自身の目頭を指で押さえるラルケス。エルーテはむっ、と軽く頬を膨らませる。
「ズルイ。さっき、美しい、って言ったのに」
 ラルケスは溜息をついた。
「まぁ……、とても美しくて綺麗ですよ。眩いほどに。あなたをそこまで仕立て上げた者たちの手腕は、大変素晴らしいです。その者達には後で、特別に褒賞を与えましょう」
 素直ではないが、一応褒めてもらえたので、エルーテはよしとした。
「ラルケス様。美しい女性を決めるコンテストで優勝したので、お祭りを一緒に回りましょう」
 その発言に、ハンナを含めた周囲の者たちがぎょっとした。ハンナはエルーテの肩を掴む。
「正気なの? ご主人様は確かに見目は完璧だけれど、性格は決していいとは言えないわ。外見に惑わされて、近づいてはダメよ。ラルケス様は、観賞用にはいいけれど、付き合うには不向きだから」
 他の使用人女性たちも頷き、エルーテに説得をし始めた。ラルケス様だけはやめたほうがいい、と。騎士や兵士たちも、うんうんと同意している。
「エルーテちゃん。ラルケス様じゃなくて、俺にしておきなよ。俺ならいっぱい優しくしてあげるから。ラルケス様は怒るととってもこわーいお方だから、エルーテちゃん泣かされちゃうよ?」
「そうそう。ご主人様は遠くから眺めるのが、丁度いいんだよ。厳しいし、意外と根に持つ性格だし。だから、ご主人様じゃなく、僕を選ぶといいよ。僕のほうが絶対いいから」
 エルーテはどうしていいのかわからなかった。
(皆どさくさに紛れて、ラルケス様のこと、言いたい放題だなぁ……。これぐらいの発言をしても、ラルケス様は許してくれる、って思っているからだよね?)
 現にラルケス本人は、気にも留めていないようだった。
「全く、傷つきますね。普段あなたたちが腹の底で、私のことをそんな風に思っていただなんて。……そうだ。エルーテ。あなたがどうしてこの領地へ来たのか、理由をお話ししてもいいですよ」
 なぜこの領地へ来たのか、その事情を言うことは今まで口止めされていた。エルーテは当たり障りのない範囲で、ここへ来た目的を言う。
「ラルケス様の妻にしていただくため、お願いをしに来ました……」
 これに周囲が動揺した。どういう目的で、ラルケスの妻になろうとしているのか、と。ハンナは青ざめ、エルーテの両腕を掴んで強く揺さぶる。
「絶対にやめたほうがいいわ。ご主人様を相手に悪くは言いたくないけれど、ラルケス様とお付き合いした女性は全員、愛されることなく去っているのだから。そもそもラルケス様のこと、好きなの?」
 エルーテはちらりとラルケスを見た。熱を出して寝込んだときに、彼と約束をしたのだ。
『ラルケス様、どうか覚悟をしていてください。これからは私が世界で一番、ラルケス様を愛しますから』
 と。だから、エルーテは彼を愛すると決めた。
「はい。ラルケス様のこと、大好きです。心からお慕いしています」
 偽りなく答えた。ハンナはわなわなと、唇を震わせながらラルケスを見上げる。
「こんな純真な子を誑かして……。いつもは見て見ぬふりをしますが、今回は看過できません! ラルケス様は、エルーテ様のことをどう思っているのですか?」
「今は、子ウサギですね。さて、エルーテ。行きますよ」
 ラルケスはエルーテの手を引くと、歩き始めた。しっかりと手を握られており、彼にしてはやや強引だと考える。
「ふふ。ラルケス様と一緒に歩けて、嬉しいです」
「これぐらいのことで喜ぶなんて、単純ですね」
「そうです。私は単純なんです」
 庭園を離れてやってきた場所は、城塔の中にある部屋だった。人払いがなされ、二人きりとなる。室内にはラルケスのものとみられる、煌びやかな装飾がなされた剣や、彫刻品、そして色鮮やかな絨毯が敷かれている。どうやら物置部屋のようだが、室内はきちんと整頓されていた。
「すみませんでした。私のせいで……。今日はもう、お祭りには行かないほうがいいですね」
 彼と祭りに行きたかったが、無理だろうと考えた。ラルケスはゆっくり頷く。
「そもそも私は、祭りへ行く気はありませんでした。視察や要人との面会などの仕事が入っていたので。それに公爵という立場上、命を狙われやすいですからね。祭りだなんて、警備が手薄になりますし、こんな日に外へ行くだなんて襲ってくれと言っているようなものです。なのであなたを諦めさせるために、無理難題をふっかけたんですが……、まさか優勝をするとは……」
 以前、彼が暴漢に狙われた話を思い出した。エルーテは自らの考えの甘さに、そうだった、と落ち込む。
(ここは、あの平和な私の故郷、フィルラング領じゃないんだ……。なんて迂闊だったんだろう。こんな日にラルケス様を連れだしたら、もっと大変なことになっていたかもしれない……)
 大きな港があるので、遠方より訪れる者も多いのだ。どこにどんな人物が紛れているのか、わからない。それに彼は、王家と血縁関係がある、高貴な血筋だ。攫って身代金を要求しようと考える不届き者も、いるだろう。
「本当に、申し訳ありま……」
「約束は、別の機会にしましょう。王都でも祭りはありますし、これから行く機会はいくらでもあるでしょう」
 エルーテは目を丸くした。
「え? 今、なんて……。私と一緒に、お祭りへ行ってくれるんですか?」
「えぇ。そう言いました。私は、あなたとの約束は必ず守ります」
 エルーテはほんの少し目に涙を浮かべて、笑顔で頷いた。その言葉だけで、落ち込んでいた気持ちが元気になったからだ。
(嬉しい。ラルケス様といつか一緒にお祭りに行けるの、楽しみだな。……ん?)
 目についたのは、一枚の絵画だった。白亜の建物が描かれており、異国の風景だとわかる。
「あれは、私の生母が暮らしていたシュバール国の宮殿です。元々母の部屋に飾られていたものですが、母が亡くなった後、父がここへ片づけたんですよ」
「そうだったんですか……」
 ラルケスは手近にあった、背面にアザミの浮き彫り(レリーフ)がされた椅子へ腰かけた。
「そういえば、以前私が留守のときに、城へやってきた商人の相手をしてくれたそうですね。ありがとうございました」
「いえ、私はただ通訳をしたり、雑談をしていただけなので。……、商人で思い出したんですが、砂糖を売ると、とても大きなお金になるんですね? 知りませんでした」
「あぁ……、買いたいものがあるので、貯蓄をしているんですよ」
 彼が欲しいものなど、想像がつかなかった。エルーテは不思議そうにする。
「ラルケス様が貯蓄してまで、欲するもの……?」
「あなたになら、話をしてもいいでしょう。私が欲しいのは、シュバール国です」
 予想外の返答だった。エルーテはすぐに言葉が出てこない。
「シュバール国……。蒙昧な私にはわからないのですが、国って手に入れられるものなんですか?」
「えぇ。手段はご想像にお任せしますが、手に入ります。なので、色々と資金が必要なんですよ」
 エルーテは混乱していた。どういう表情を作っていいのかもわからない。国が手に入る、と断言した彼が、見知らぬ人物のように見えたからだ。
(きっと、正攻法で手に入れる、という意味ではないんだろうなぁ……)
 四年前の戦争時には、彼は手段を選ばず、かなり非道な作戦を立てた。英雄ではなく、悪魔と称されるのは、そういう理由だ。
「どうして、シュバール国が欲しいのですか?」
「端的にいうと、復讐です。私の言う復讐とは、四年前の戦争に起因しています。四年前の戦争時、裏でこちらの情報を敵国に流していたのが、シュバール国なんですよ」
「え!」
「あの戦争のせいで、私のほうにも大分、被害がありましたからね。交易関係で被害を受けただけではなく、知人も亡くなりましたし……」
 エルーテはラルケスの隣りにある椅子へ座った。
「……本当に、それだけの理由ですか?」
 確かに彼ならば怒りそうな気がしたが、理由は他にもある気がした。でなければ、彼がそこまでするようには、考えられなかったのだ。ラルケスは少し黙り込んだ後、話し始める。
「今述べた理由が全てです。他にも理由があるとすれば……、そうですね。以前あなたに少し話をしましたが、私の両親の間に愛はなく、母は精神を病みました。母はほんの僅かな日数だけでも故郷へ帰りたいと言っていたそうですが、それをシュバール国側が認めなかったんです」
「そんな……。では、ラルケス様は亡くなられたお母様のために、復讐を?」
 ラルケスはにこりと微笑んだ。その笑みが怖く、エルーテはぞくりとする。
「いいえ? 私は母親に愛情というものは一欠片も抱いていません。血は繋がっていますが、赤の他人同然でしたので。でもまぁ、あんな人でも一応は私の母だったので、思うところはあります」
 エルーテは悲壮な表情を浮かべた。
「ラルケス様……」
「あとは……、両親が亡くなり、どうにか一人で領地を支えられるようになった頃、シュバール国から使者がやってきたんですよ。使者は母の生家の者です。シュバール国は度重なる紛争と自然災害、そして疫病などにより、かつてないほどに貧困している。だから援助をしてほしい、と。使者はシュバール国人である母との間に生まれた私に、王宮へ取り次いでほしいと言ってきたんです。私が生まれたときも、私の両親が死去したときも、なんの音沙汰もなかった連中が」
 エルーテは胸が痛んだ。
「都合が、良すぎますよね」
「えぇ。……そして今からおよそ十七年ぐらい前でしょうか。かかれば高い確率で死ぬ、疫病が流行ったんです。領民のために大量の薬が必要になったんですが、その金策にかなり苦労をしましてね。当時父が支援を願う手紙をあちらに送ったんですが、彼らは素知らぬ顔でした。それどころか、母を嫁がせたのは間違いだった、もう二度と連絡はしてこないでほしい、と手紙を寄越してきたんです」
 エルーテはラルケスの手に、自分の手を重ねた。彼は否定するだろうが、酷く傷ついているのがわかった。
「そんなことがあったなんて……」
 エルーテの神妙な顔つきに、ラルケスは意外そうにした。
「清廉潔白なあなたのことですから、復讐なんてやめたほうがいいと、説得すると思っていました」
「私は、そんな綺麗ごとが言える人間じゃないです……。私だって、ドロドロしたものを抱えていますし」
 ふと家でのことを思い出し、エルーテは顔面が蒼白になった。気分が悪くなり、俯く。
「そういえば、あなたは家族のことを話しませんね」
「え? あぁ……、今までラルケス様は私自身のことに、興味がなさそうだったので……」
「おや。興味をもたないことを、さも当然のように言うんですね」
 エルーテは自嘲しそうになって、慌てて堪えた。
「私が一番仲がいいのは、兄のイザールです。兄は私にとって父のような存在で、過保護なぐらい気にかけてくれます。困ったときはいつでも相談に乗ってくれますし、勉強や異国の言葉もよく教えてくれました。四人の姉たちとも、仲良しです。既に嫁いだ三人の姉たちとも定期的に手紙のやりとりをしていますし、刺繍や礼儀作法など、厳しく教わりました」
「……兄が父親?」
「はい。忙しい父に代わって、兄が面倒を見てくれたんです。小さい頃、兄は私をどこへ行くにも連れ歩き、そばにいてくれました。私が寂しくないように」
 エルーテの言葉に、ラルケスが疑問を抱いた。
「寂しくないように、ということは、あなたは寂しかったのですか?」
 エルーテはその問いかけに、答えることができなかった。ここで首を振れば嘘になり、頷けばどう寂しかったのかを説明しなければならない。
「私を産んだ時に、母が亡くなっているので……」
 そう答えるのが精一杯だった。ラルケスは何かを察したのか、それ以上は訊かない。エルーテは内心ほっとする。
(ラルケス様はちょっとずつご自分の話をしてくれているのに、私はまだ話せていない)
 もしも話せば、余計に姉との縁談を望むのではないか。そんな恐れがあったからだ。
「話したくなったときで、結構ですよ」
 ハッとして顔を上げると、ラルケスと視線が交わった。彼はエルーテの頬へ手を添え、どこか心配そうにしている。
「……ラルケス様?」
 今まで見たことがない彼の表情に、どきりと心臓が跳ねた。自然と頬が熱くなり、彼に見つめられるのが恥ずかしくなる。
「あなたは先ほど、私を大好きだと言いましたが、本当に私が好きなんですか?」
「はい。異性としてはまだわかりませんが、嫌いではないですよ? 顔は好みですし」
「そうですか。私も、あなたの胸や唇は好ましく思っていますよ」
「今は若いからいいですけど、私が歳を重ねたらどうするんですか? 胸は垂れてきますよ?」
 ラルケスはエルーテの唇を指で撫でた。それがくすぐったくも、なぜか心地いい。
「あなたは、お気に入りのアクセサリーや美術品を、古くなったからといって廃棄しますか? 年月が経てばそれぞれ成熟し、より深みが増します。……あなたは、いったいどんなふうに、深みを増していくんでしょうね?」
「それを確かめるには、結婚するしかないですね! ラルケス様、私と結婚しましょう!」
 ラルケスは何も答えなかったが、笑顔で却下されたのがわかった。エルーテは唇を尖らせると、やや拗ねる。顔を背けようとしたのだが、ふいに彼にキスをされた。エルーテは目を白黒させ、ぽかんとする。
「拗ねたあなたの表情は、面白いと思いますよ」
「面白いではなく、可愛いとか、綺麗って思われたいです」
「今のところ、あなたに関しては可愛いよりも、愉快とか珍妙とか、奇人、といった感じですね」
 エルーテはつい、ラルケスの足を蹴った。蹴られたラルケスは不快そうにする。
「やめてください。足癖の悪い女性(ひと)ですね」
「ふんだ。ラルケス様が悪いんでしょ! 意地悪な発言ばっかりするから!」
 自分でもどうかと思うほどに、物凄く子供っぽい怒り方をしてしまった。エルーテは気まずくなり、席を立ちあがって部屋を出て行こうとする。だが扉を開けようとしたところで、バンッと扉が押さえつけられた。そしてすぐに、背後から強く抱きしめられる。
「全くあなたは、おしとやかとは程遠い人ですね。蹴るし、癇癪を起こすし。子供すぎて眩暈がしそうですよ」
「だって、コンテストになんて出たくなかったのに、三位以内にならないと、一緒にお祭りへ行かないって言うし……。私がどれだけ頑張っても、ラルケス様は愉快とか、面白いって言うし……」
 自然と涙声になった。彼はおそらく、このような面倒ごとは嫌いなタイプだ。女性に泣かれるのも、愚痴を言われるのも、マイナスな印象になるだろう。
(最悪だ。他の人が相手ならちゃんとできるのに、ラルケス様が相手だと、うまくできない……)
 いつも人の顔色を窺い、反感を持たれたり恨みを買われないよう、敏感に立ち回ってきた。だがラルケスが相手だと、それが上手にできないのだ。こんなことではいけない。このままでは姉と彼が結婚をすることになる。
(どうしよう……。怖くて振り返られない)
 彼に城から出ていけと言われれば、エルーテは従う他ない。
「あなたは、可愛いですよ。よく表情がコロコロ変わりますし、あなたがいるだけで、場の雰囲気が明るくなります。どれだけ私が意地悪をしても、懲りずにやってきて、容赦なく私の心の中(うち)へ入ってくる。こんなにも誰かに目を奪われて、平静でいられないのは初めてです」
 どういう意味で彼がそんなことを告げてくるのか、本心がわからなかった。
「……また、からかっているんでしょう?」
「いいえ? あなたのことを、とても好ましく思っている、という話です」
 身を捩って逃げようとしたが、できなかった。彼は普段から鍛えているので、びくともしない。エルーテはわざとらしく大きな溜息をつくと、彼の手に自らの手を重ねた。
「もっと褒めておだててくれたら、機嫌が治る気がします」
 彼にとって面倒だろうことを要求した。そもそも彼が機嫌をとる必要は、どこにもない。つまり、エルーテは彼から解放されたくて、わざと言ったのだ。本気で彼に褒めてもらいたいわけでも、おだててもらいたいわけでもない。
(早く一人になって、頭を冷やしたい)
 もうそろそろ解放されるだろうか、と思ったのだが、一向に彼が離れる気配がない。
「わかりました。私は美しいものや綺麗なものに、賛辞を述べるのは苦ではないので、構いませんよ」
 エルーテは目を丸くし、彼へ振り返った。本気だろうか、と。
「い、いえ、やっぱり遠慮をしておきま……」
 ずるずると部屋の中央へ連れ戻され、金彩がされたテーブルの上へ座らされた。ラルケスは少し屈むと、エルーテと目線を合わせる。
「エルーテ。私はあなたの髪を、気に入っています」
 彼がエルーテの機嫌をとる方を選んだことに、面食らった。
「……ありがとうございます。母と同じ髪の色をしているのは私だけらしいので、自慢なんです。兄姉(けいし)は父譲りの髪色なので……」
 幼い頃、うっすら紫がかった銀色の髪はまるで雪のように綺麗だと、兄や姉たちに褒められたのだ。
「朝焼け色をした瞳も、まるで宝石のようで、見飽きることがありません」
「私のチャームポイントだと思っています」
「あなたの姉想いなところも、健気で可憐だと思いますよ。……あぁ、そうそう。泣き顔も好きですよ。私に触れられて、恥ずかしがる表情も」
 なぜだか、まるで口説かれている気分になった。彼にそのつもりはなくとも、くすぐったくなる。しかも大切なものを扱うかのように、腰を抱かれた。そのまま額や頬、鼻先へと優しくキスを落とし、頬へ何度かキスをされる。それがなんとも甘酸っぱく、照れずにはいられない。
「も、もう、機嫌が直りましたっ、褒めなくていいですっ」
 耐えかねてそう言ったのだが、彼は離してくれなかった。
「遠慮しないでください。あなたは謙虚ですね。……あぁ、そうだ。この前腰の悪い老婆を背負って、家まで送ったそうですね。他にも食糧の支出記録が合わないと怒っていた家令を宥め、どうしてそうなったのか、根本的なミスを指摘したと聞きました。あなたは偉いですね」
 違和感を覚えた。というのも、どちらも見張り役のアルディがいなかったときの、出来事だからだ。
(私に関心がないような素振りをしてるのに、私の行動をきちんと把握していたり、本に記録をしたり……)
 はじめは余所者だから監視をされていると思っていたのだが、最近違うと気づいたのだ。どうやら彼は、本気でエルーテのことを面白い存在だと捉えているようなのだ。
「特別なことをしたわけじゃ……。それに、困ってる人がいたら、助けるのは当たり前ですし」
 エルーテは、ラルケスに頬を両手で包み込まれた。そのまま、唇へキスをされる。とても優しく、胸が痛くなるようなキスだ。恥ずかしくて彼を少し押しのけようとすると、唇が僅かに離れる。
「おや、唇は私のもののはずですが?」
「わ、わかっています……、でも……っ、でも……」
「私の顔は好みなのでしょう?」
「そう、ですけど、なんだか、恥ずかしくて……」
 意識した途端、急激に全身が火照った。顔も熟れた果実のように赤くなり、鼓動が速くなる。だというのに、そこへまたラルケスが、エルーテの唇へ優しく口づける。まるで恋人同士になったかのような錯覚に陥り、エルーテは混乱する。
「どうしました? 顔が赤いようですが」
「き、気分が優れないので、失礼します!」
 エルーテは彼を押しのけると、部屋を飛び出した。そうして自室へ向かう途中、泣きそうな気持ちになる。
(ラルケス様、優しかったな。でも)
 無関心や無視をされることがどれだけ辛いのか、エルーテは知っている。そのため、彼に褒められたことは、とても嬉しかった。しかしながら、後ろめたさも感じているのだ。彼に隠し事をしていることに。おそらくそれは、彼も薄々感づいているだろう。


 その夜。エルーテはラルケスの部屋へ訪れていた。着替えと湯浴みはとうに終わり、寝衣姿だ。ラルケスはまだ着替えが終わっておらず、椅子に座ったまま仕事の資料を読んでいる。
「逃げ出したウサギが戻ってきたみたいですが、なんの御用ですか? 私は祭りの事後処理で、疲れているのですが」
 疲れているとは言ったが、疲れているようには見えなかった。
(ラルケス様って疲れていても、そんな素振りは一切見せないから……)
 エルーテは持ってきた温かいお茶と、チーズのタルトをテーブルへ置いた。
「夕食、召し上がらなかったでしょう? ちょっとでもお腹に入れてください」
「頼んだ覚えはありませんが」
「また風邪を引いて寝込みますよ」
 そう言うと、ラルケスは渋々といった体で、タルトを食べた。
「……あなたが作ったんですか?」
「……! 正解です。よくわかりましたね?」
「まずいですから」
 エルーテは、そんな筈は、と慌てた。
「味見をしてくれた料理長やパン焼き係りのおじさん、それにシャルにも、おいしいって言ってもらいましたよ?」
 ラルケスはタルトを全て、食べ終えた。
「冗談ですよ。とてもおいしくできています。で、一切れだけですか?」
「はい。本当はもっとあったんですが、皆に食べられちゃって……」
「主人の食べ物をとるなんて、とんでもない使用人たちですね。では、明日また作ってください」
「わかりました。愛情をたっぷりこめて、作りますね?」
 ラルケスは頷いた。そしてまた、仕事を始めようとする。
(もうすぐ日付が変わる時間だというのに……)
 このままでは夜明けまで仕事をしかねないので、なんとか彼を寝かせたいと思った。
「ラルケス様」
「なんです? 仕事の邪魔をするなら、容赦しませんよ」
「ラルケス様。そろそろ寝台へ行きませんか?」
 ラルケスは書類から目を離した。どういう真意で言ったのか、考えているようだ。
「私に構われたいんですか?」
「いえ、もう遅いので、寝台で眠ってほしいという意味です」
「おや。あなたがそんなにもこの私に構われたがっていたなんて。意図を察することができず、すみません。わかりました。せっかくあなたから誘ってきてくれたことですし、相手をしてあげましょう」
 逃げようとしたが、腕をしっかり掴まれて失敗した。そのまま横抱きにされ、寝台まで運ばれる。
「一緒に寝るんですか? あ、子守唄でも歌いましょうか?」
 誤魔化そうとしたが、無意味だった。エルーテは寝台へ下ろされる。
「さて……、抵抗されたくないので手枷をつけたいのですが、一応選ばせてあげましょう。抵抗せず大人しく私に触れられるのと、手枷をつけられて抵抗するのと、どちらがいいですか?」
 エルーテは眉を寄せた。
「私は、ラルケス様の妻になりたくてここにいるんです。ラルケス様が抱きたいっていうなら、抵抗はしません。私の体は好きにしていいですよ。そのかわり、私を抱いたなら必ず夫になってもらうので、覚悟してください」
 そう告げれば、彼はつまらなさそうにした。
「わかりました。では、抱きません」
 肉体関係を持てば夫になってもらうと宣言した以上、抱かないと言われるのは承知の上だった。エルーテは表情に出さないものの、どこか悲しい気持ちになる。
(ラルケス様にとって、私はどういう存在なんだろう? ……そういえば男の人は結婚をする前、複数の女性と関係を持つことがあるって聞いたことがある。私もそういう意味で、利用されているのかな……)
 数多いる女性の内の一人だと思うと、非常にモヤモヤした気分になった。
(……、私だけを見てくれないかな……)
 鬱屈とした思考になりかけ、慌てて首を振った。今は自分のことよりも、彼を寝かせるほうが大事だ、と。やや強引にラルケスの手を引き、寝台へ上がらせようとする。
「さ、ラルケス様。寝てください。私も自分の部屋へ戻りますから」
 彼を寝かせようとしたのだが、気づけば彼が覆いかぶさるように、寝台へ上がっていた。エルーテはぽかんとする。
「あなたの笑顔の仮面は、存外に分厚いですね。まるで人形を相手に喋っているようですよ」
 彼は怒っているようだった。エルーテは彼がどういう意味で言ったのかを察し、気まずくなる。
「ほ、ほら、もう寝ないと。明日のお仕事に響きますよ」
「私はあなたと打ち解けようと、かなり歩み寄っていますが、あなたはどうなんですか? 私と結婚がしたいと何度も仰るわりに、あなたからの誠意が見受けられませんが」
 彼が自身のことを話したり、共に過ごす時間が増えたりと、以前よりも距離が近くなっていることは自覚していた。エルーテは、自らも言わなければと考える。しかしながら、とても嫌なことを思い出しそうになり、ぎゅっと目を瞑った。呼吸が乱れそうになるのを堪えるが、体が震えだす。
「わ、私……は」
 ラルケスはエルーテの口へ、手を当てて塞いだ。
「……自身の話をしようとすると、あなたが傷つくというのはわかりました。今はまだ、言わなくて結構です」
 なんとか感情を落ち着かせると、徐々に震えが止まった。
「鋭い人は、苦手です……。まるで、兄様と喋ってるみたい……」
「兄というと、イザールのことですか?」
「……自分の感情を隠すのが癖になってる、って言われるんです」
 できるだけ敵を作らないよう、周りから見捨てられないよう、必死だったのだ。そうしている内に、エルーテは自分の心がよくわからなくなってしまった。ラルケスに人形と言われるのも、仕方がないことだ。
(こんな話をしたら、悪い印象を持たれる……)
 やはり姉のニーナのほうがいいと、思われてしまうだろう。
「つまりそれは、自分がやりたい行為、やりたくない行為にかかわらず、その感情を抑え込んでしまう、という解釈で合っていますか?」
「……おそらく」
「全くあなたは……。他人の感情には鋭いくせに、自らの感情に疎いとは、なかなかに複雑な人ですね。もしや、姉の代わりに私の妻になりたい、というのは、あなたにとってやりたくない行為にあたるんですか?」
 エルーテは慌てて首を振り、強く否定した。
「いえ、それは違います! 確かに私は、兄や姉のためなら誰とでも結婚をしようと思っていました。でも今は、ラルケス様と約束をしましたから。私がラルケス様を愛するって。だからラルケス様と結婚をするというのは、私にとってやりたい行為になります」
 まっすぐに彼の目を見据えて、そう言った。彼は少し不満げに、エルーテの唇を指でなぞる。
「そういう愛の言葉は、もっと恥じらいながら告げてもらいたいものですね」
「愛の?」
 エルーテは少しばかり間を置いて、意味に気づいた。頬が熱くなり、慌てる。
「そ、そういう意味ですが、今のはそういうのじゃなくて、私は真剣に……っ」
 ラルケスはエルーテの唇へ、自らの唇を重ねた。優しく啄まれ、頭がくらくらする。
「あなたは本当に、食べたくなるぐらい可愛らしい人ですね」
「え? かわ……っ」
 突然の褒め言葉に困惑する中、寝衣を脱がされ、肌着姿にされた。だがその肌着も脱がされ、下着姿となる。ラルケスはエルーテの首筋を舐め、鎖骨へと口づけた。それがくすぐったいような心地よさで、エルーテはどきりとする。
「えぇ。ほら、こんなにも大きな果実を実らせていますし」
 豊かな胸を手で包まれ、そのまま突起を唇で柔らかく扱かれた。エルーテは首を振る。
「それは、果実では……」
「淫らでいけない果実ですよ。私をこんなにも酔わせるんですから。まるで美酒のごとく」
 胸を味わうようにしゃぶられ、エルーテは頭がどうにかなりそうだった。エルーテの胸を堪能するかのように、彼は幾度も舐めあげる。その度にエルーテは腰をよじり、なんとか恥ずかしさと胸への快楽を紛らわせようとする。しかしながら感度は増すばかりであり、胸の突起は痛いぐらいに勃(た)つ。ぬらぬらと彼の唾液に塗れた胸は蝋燭の明かりに照らされ、なんとも艶めかしい様子だ。
「や……っ、胸、そんなにされたら……」
「されたら、どうなるんですか?」
 おかしそうに、彼はもう片方の胸も同じようにしゃぶりつき、胸の突起を軽く吸い上げた。胸の突起はふるふると揺れ、彼に舐められることをまるで喜んでいるかのようだ。
「頭が、おかしくなるから、ぃやです……」
「そうですか。でも諦めてください。この胸は私のものなので」
 彼は自身の肉厚な舌でエルーテの胸を舐めながら、彼女の下着を器用に脱がせた。そのままエルーテの両脚を割り開き、内股を撫で上げる。
「む、胸と唇以外は、触ってもいい許可は出していないですっ」
「え? 触ってはいけないんですか?」
 珍しく、悲しそうな表情をされた。エルーテははっとし、首を振る。
「い、いえ、そういうわけでは……」
「では、触っても問題はありませんね」
 腿を何度も撫でられ、ゾクゾクした。彼はまるで指全体で感触を楽しむかのように、触れてくる。
(大切にされているかのような、錯覚がする)
 彼は胸からエルーテの腹部へと、口づけをしていた。そうして内股まで下がっていき、今度は腿を舐め上げる。それがなんとも官能的であり、同時に艶めかしい。彼が強烈な色香を持っているとはわかっていたが、いつもよりそれが濃く感じられた。
「ん……っ、ラルケス様……」
「どうしましたか? 随分と視線が熱っぽいですね」
 どんな表情をしているのか、自分にはわからなかった。だが自らの淫らさを指摘されたのがわかり、どうしていいのかわからなくなる。
「承知していると思いますが、一線を越えたら、私と結婚してもらいますから」
「わかりました。では、一線を越えないように、あなたを堪能します」
 彼を誘惑することができればよいのだろうが、その方法がわからなかった。
「わ、私も、ラルケス様に何かさせてほしいのですが」
 彼は笑顔を浮かべた。
「いえ、お断りします。というか、私が楽しんでいる時間を奪わないでほしいのですが」
 エルーテはしょんぼりした。既に結婚した姉たちに、寝所での男性を楽しませる技巧を聞こうとしたことがある。だが、はしたないと説教されたのだ。
(あのとき、無理にでも聞いておけば……)
 そのとき、エルーテの両脚が大きく広げられた。驚いて、すぐに彼を見る。
「私と一緒だというのに、余計なことを考える余裕があるんですね?」
「え! ちが、そういうわけでは……っ」
 足の間にある秘部へ、彼の手が当たった。さんざん胸を弄ばれたせいで興奮し、隠しようもないほどに濡れている。ラルケスの指が中央をなぞって襞を割れば、そこから淫らな液が零れ落ちた。エルーテは脚を閉じたくなるが、彼はそれをさせない。
「しっかり覚えておきなさい。あなたのここへ触れたのも、そして舐めたのも、私が初めてだということを」
 身も蓋もない言い方をされ、エルーテは大きく目を見開いた。だが何かを言う前に、彼はエルーテの秘部を指で触れて弄び始める。指の腹で襞を掻き分け、中央の柔らかな場所を、幾度も往復した。
「や……っ、ラルケス様、やだっ」
「私は楽しいですよ? あなたの喘ぐ姿が見られて」
 嗜虐めいた声とともに、彼の指がより一層エルーテの快楽の場所を探り当てた。そこを優しく擦られるだけでびくびくと腰が震え、体の中から液体が溢れ出るのがわかる。
「んぅ……! だ……めっ」
「そういえば、一線を越えたらあなたと結婚をしなければいけないんでしたよね? あなたと一線を越えずに、あなたと繋がる方法を思いつきました」
「……え?」
 彼の指がゆっくりと下がり、蜜口へと当たった。とろとろと液が毀れている部分だ。
「私の指なら、一線を越えたということにはならないでしょう」
 サッと青ざめた。彼はエルーテの大切な場所に、指を貫通させるつもりなのだと察したからだ。流石にまずいと思い、逃げようとした。だが彼の片手はエルーテの腰をがっしりと掴んでおり、身動きがとれない。
「いやっ」
「大人しくしてください。でないと、うっかり痛くしてしまうかもしれませんよ」
 痛くされるのは困るので、エルーテは泣きそうな顔で我慢した。ラルケスはエルーテの蜜口から指をゆっくり入れ、奥へと進んでいく。彼の指が入ってくるのがわかり、エルーテはぎゅっとシーツを握りしめる。
「ふ……ぅ、ん」
「あなたの中は熱くて、締まっていますね。でもとても柔らかくて、心地がいいですよ」
 彼はエルーテの中で、ゆっくりと指を動かし始めた。初めは異物感でしかなかった指が、エルーテの膣内をほぐしていく。それとともに、なんとも言えない感覚が体を支配する。
(中で、ラルケス様の指が動いてる……)
 膣壁を押し上げたかと思えば、広げるようにゆっくりと時計回りに撫でていた。
「私と繋がりたくないから、指を入れるなんて……」
「あなたの初めてが私の指で、不満そうですね。気持ちよくしてあげますから、拗ねないでください」
「そ、そんなこと、しなくていいです」
 口では断ったものの、彼が指で膣内をほぐすほどに、感度が増していた。中がとても熱く、彼に指で刺激を受けるたびに、体が疼くのだ。
「大分、ほぐれてきましたね。では、指をもう一本、増やしましょうか」
 あろうことか、彼の指がもう一本、エルーテの中へ入ってきた。一本では刺激が緩かったが、二本入ってきたことで、エルーテの膣内はぎちぎちになる。
「や……、狭いですっ」
「大丈夫ですよ。念入りにほぐしてあげますから。力を抜いてください」
 彼が指で、エルーテの膣内を撫で始めた。強張った膣壁を、優しく拡げていく。それはエルーテの体から溢れる愛液と相まって、スムーズに行われる。
「な、なんだか、変です……っ。中、熱くて……」
「あなたは、快楽に正直な体をしていますね」
 その言葉とともに、膣壁を刺激された。これまで感じたことのない強い刺激に、エルーテの体が跳ねる。
「ひゃ……っ」
「ここが気持ちいいみたいですね?」
 違うと首を振ったが、嘘だった。ラルケスはエルーテの膣壁の上部分を、指で刺激を与える。すると、目の前が明滅するほどの快感が全身を走った。これまで以上の愛液が漏れ、膣内がひくつく。彼はそれを面白がるように、何度もエルーテへ刺激を与えた。
「あぁ……んっ、や……、ああぁ……ふ……ぅ」
 ぐちゅぐちゅと、規則正しい水音がした。中を指で叩かれるほどに、狂おしいほどの快楽が齎される。エルーテは少しでも快楽を紛らわせようと身を捩りたかったが、彼が腰を掴んでいるせいでできない。そのせいで、より一層強い快楽を味わうことになる。
「とても気持ちよさそうな顔をしていますよ。これはお気に召したようですね」
 爽やかな笑顔と口調で言われたが、彼の指はエルーテの膣内を蹂躙していた。次第に下腹部の熱が膨張していき、苦しくなる。
「あぁっ!」
 何も考えられないままに、絶頂に達せられた。
「早いですね。もうイッてしまったんですか?」
 膣壁への刺激は止まったが、彼の指はまだ中に入ったままだった。エルーテは呼吸を荒くしながら、ぐったりする。
「も、もう、いいですか?」
「え? 一度で解放されると思っているんですか?」
「まだ……、するんですか?」
「当然じゃないですか。私は全然満足できていませんし」
 達してばかりで敏感になっている膣内を、彼はまたゆるゆると指で刺激をし始めた。
「い、今はほんとに、ダメ……ッ、ラルケス様、今は……っ、や」
「刺激に弱くなっているから、されたくないのでしょう? わかっていますよ」
「だったら……っ」
「あなたの乱れる姿が見たいので、やめません」
 柔く、刺激を繰り返された。快楽に慣れていないエルーテは、そのほんのちょっとした刺激にさえ反応し、足をばたつかせる。なんとか逃げようとしたが、抵抗すれば彼がより一層の強い快楽を与えてくる。
「や……っ、ゆるして……、んぅ……っ」
 強い快楽は苦痛に等しかった。やめてほしいと思っているのに、やめてほしくないとも思う。
「どんどん濡れて、凄いですね」
 そこで、あろうことかラルケスは、エルーテの脚の間に顔を埋めた。そして膣内へ指を入れて刺激を与えたまま、秘部を舐め始めたのだ。これにエルーテは驚く。
「ラルケス様、や……っ、やだっ!」
 彼はエルーテの大切な部分を、舌先を割れ目に押し込んだ。そのまま上下に往復させる。
「以前よりも、膨らんでいますね」
 花芽を舐められ、ぎゅっと中が締まった。
「ひゃ……んっ、あぁ……く……ふぅ」
 指で中を弄られながら、舌で秘部を暴かれていた。彼の舌はとても熱く、舌先で花芽をちろちろと舐められるたびに、耐え難い快楽が全身を支配する。あまりの気持ちよさに、もっとしてほしいと懇願しそうになる。それとともに、涙が溢れた。はしたない自分にショックを受けてなのか、それとも快楽への喜びのものなのか、わからない。
「ふふ。さっきよりも、大きくなりましたよ」
「い、言わない、で……」
 ちゅ、と花芽を吸われ、腰がガクガクと揺れた。それだけでも辛いのに、膣内に入った彼の指はだんだんと刺激を強めてくる。
(気持ち良すぎて、頭がおかしくなる……っ)
 再び熱が高まっていき、もう少しで絶頂へ達しそうになった。だが唐突に、彼はやめてしまう。エルーテはなぜ、と彼を見る。指は中に入ったままだが、一切動かない。
「おや。なんだか不満そうですね? さんざんやめてほしいと、お願いをしていたのではありませんか?」
 下半身に溜まった熱が、行き場をなくして暴れているかのようだった。下腹部がありえないほどに疼き、エルーテはどうしていいのかわからない。
「ひ、酷い……」
「どうしてほしいのか言ってくだされば、してあげなくもないですよ? そうですね。たとえば、この中へ何を挿れてほしいのか、言ってください」
 エルーテはごくりと唾を飲んだ。彼が示したのは、今正に彼の指が入っているエルーテの膣内。指が入っただけでもとても気持ち良かったというのに、指以上の大きさのものが入ったらどうなるのか。そんな想像をしてしまう。
(中に欲しいって言ったら、ラルケス様の思うつぼだ。それに、姉様が前に言ってた。男性の性器(もの)を挿れるのは、悲鳴をあげるほど、凄く痛いって)
 寸前のところで、理性が働いた。
「挿れてもいいですけど、挿れたら絶対に私と結婚してもらいますから!」
 ちょっと怒り気味に、彼へ言った。ラルケスは耐えかねたかのように、笑う。
「ふふ、あなたは強情ですね。面白いので、ご褒美に最後までしてあげます」
 彼は再びエルーテの膣内を、指で刺激し始めた。そして舌先でエルーテの秘部を割り、襞から花芽を舐める。それとともに中途半端だった熱が、再び勢いを増していく。
「あ……っ、ん、ぁふ……んぅうっ」
 いつの間にかエルーテの腰を押さえていた手が、エルーテの脚の外側を撫でていた。
(ラルケス様に、愛されているって、勘違いをしそうになる)
 花芽をそっと吸われただけで、膣内が激しくひくついた。まるで彼の指を締めつけ、離すまいとするかのように。
「熱烈な抱擁ですね」
「ち、ちが……」
 膣内と花芽に、先程よりも更に強い快感が与えられた。あまりの甘美な刺激に、エルーテはなすがままになる。
(こんなの、どうしていいかわからない……っ)
 そうして再び、エルーテは絶頂を迎えた。息を荒くしたまま、ぐったりと体から力が抜ける。彼はエルーテの中から指を引き抜くと、それを見せた。
「あぁ、トロトロです。指もふやけていますし。凄いですね」
「う……、わ、私のせいじゃ、ないです……」
「えぇ、わかっています」
 エルーテは服を着てきちんと自分の部屋へ戻って眠りたかったが、体が言うことをきかなかった。瞼を閉じてしまい、そのまま眠ってしまう。
「あなたの寝顔も、気に入っていますよ」
 そう言われた気がした。


 朝になると、ラルケスの姿はやはりなかった。エルーテは慌てて服を着て、湯浴みをしようと考える。
(あ、そうだ。私の観察記録、どうなってるんだろう?)
 いけないことだと思いつつも、自分が彼にどう思われているのかが気になった。部屋の外と室内に誰もいないことを確認してから、本棚にある観察記録を手にして読む。
「えと……、平凡な彼女も、着飾ればおいしそうなウサギに見えます……」
 可愛いという意味ではなく、食用として見られていたようだ。
 エルーテはそっと本棚へ本を戻し、部屋を後にした。

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