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エピローグ
約一年後――。
その日は、雲一つない快晴だった。
アラステアが所有する邸の庭園には円形のテーブルが幾つも並べられており、その上には豪華な料理が用意されている。
「それにしても、アラステアの初恋が実って良かった。感慨深いものがある」
しみじみと呟いたのは、アラステアの父親であるフレッドだった。レースの襟や袖がついた貴族特有の正装をしており、手にはワインが注がれたグラスを持っている。
「アラステア様は、幼いころからリオノーラに夢中でしたから。二人だけで生活させるなんて最初は心配でしたが、なんとかうまくいったようで良かったです」
フレッドの隣にいた、リオノーラの父親であるアーマンドが答えた。アーマンドもまた貴族らしい服装であり、その目尻は少し赤い。
「アラステアはリオノーラしか見ていなくてな。気になるくせに意地悪ばっかりするから、リオノーラに余計に嫌がられて……」
距離のある二人の仲を取り持とうと、両家は実力行使に出たのだ。
既成事実さえできてしまえばあとはなんとかなる、と。
「嫌がられて……。いえ、そこまで娘も嫌がっていなかったとは思いますよ? アラステア様が留学へ行かれてからも、娘は気にしていましたし。アラステア様の手の傷が自分のせいでできたことを、ずっと悔やんでいましたから」
フレッドが思い出したように苦い顔をした。
「あんなの傷の内に入らんよ。いっそ、もっと男の勲章のような立派な傷ならまだしも」
「えぇっと……」
アーマンドは返答に困ってしまった。フレッドは気にせず会話を続ける。
「そういえば昔、どう考えてもアラステアの趣味ではない宝石箱をねだられたことがあってな。一体どうするのかと思っていたら、ちゃっかりリオノーラへ贈っていて。……あぁ、でも、リオノーラはルパートがプレゼントしたと勘違いをしていたんだが」
ニヤリ、と楽しげに口元を歪めてみせるフレッド。アーマンドも心当たりがあり、目を少しだけ眇める。
「ふふ。そうでしたね」
「我が息子ながら不器用というか……。なんと嘆かわしい」
手にしたグラスに口をつけて、一気にワインを飲むフレッド。アーマンドは苦笑を隠せない。
「でも、アラステア様が隣国へ留学される前、一度私の城へ立ち寄ってくれたことがありました」
「……なに? その話は初耳だぞ」
フレッドが目を丸くしていた。アーマンドは穏やかに頷く。
「『もしも俺が立派になってリオノーラを迎えるのに相応しい男になったら、リオノーラを俺にください。必ず迎えにくるので、それまで兄に近づけないでください』と、私に言ったんです」
「なんて生意気な! すみません、愚かな息子で」
「いいえ。アラステア様は定期的に私と手紙をやりとりしていましたし、とても真面目で立派なご子息だと尊敬しています。有言実行ですしね」
フレッドはややいたたまれない気持ちになってしまった。
「アラステアは仕事に打ち込みすぎて、いくら私が隣国から戻って来いと手紙を送っても、返事の一つも碌に寄越さなかったんだ。そのくせリオノーラとの婚約が決まったと手紙を送ったら、驚くほど早く戻ってきて……。我が息子はわかりやすいというか、何というか」
「私としてはアラステア様に娘を貰っていただけるほうが喜ばしいです。アラステア様なら娘を大切にしてくれるでしょうから」
フレッドも頷いた。
「……私自身はリオノーラがルパートかアラステアのどちらか選んでもらえれば、それで良かったんだ。でも、最初からアラステアとリオノーラを許嫁同士にしていれば、きっと全てが丸く収まっていたんだろうなぁ……」
複雑な心中を漏らした。兄であろうと弟であろうと、どちらと結婚をしても両家につながりができることには変わりはなかったのだ。だが結果的に、事態は最悪な展開となってしまった。
「ひとまず、辛気臭くなってしまうのはやめましょう。今日は、祝福すべき日なのですから」
アーマンドがそう告げると、フレッドは同意した。
「そういえば、主役の二人はどこに行ったんだ」
周囲を見回すが、どこにも姿がなかった。
「そういえば、どこに行ったんでしょうね」
「全く、まだまだ来客者への挨拶が残っているというのに。……セドリック。二人がどこに行ったか知らないか」
フレッドへとワインの継ぎ足しを行っていたセドリックは、即座に答えた。
「いいえ、存じ上げません。お役に立てず、申し訳ありません」
アーマンドは、すぐ近くで給仕をしていたシルヴェストルを呼んだ。
「君は確か、リオノーラと親しくしてくれている子だったね。リオノーラとアラステア様を見かけなかったかい?」
シルヴェストルは笑顔で首を振った。
「いいえ、私も存じ上げません」
セドリックとシルヴェストルは二人の行先に心当たりがあったものの、決して答えることはなかった。
賑やかな宴席を離れたリオノーラは、庭園に立っていた。緑を基調とした絹のドレスを身に纏い、金糸で刺繍が施されたベルベットのヘアバンドをつけている。普通のドレスと異なった特徴を持っているのは、ドレスにリオノーラの家が持つ紋章の刺繍がされていることだった。首元にはピンクパールの首飾りがあり、耳にはルビーのイヤリングをつけている。
「今年も見事に咲いたわね」
リオノーラが見ているのは、マートルの木だった。昨年アラステアと一緒に見たときも、真っ白なマートルの花々が咲き乱れていたのだ。
――思えば、あのときに私はアラステアへの気持ちを自覚したんだった。
ほんの少し前のことだというのに、もう随分と昔のことのように思えた。
そよそよとした風がおろした髪を揺らし、マートルの香りとともに通り過ぎて行く。
「リオノーラ、やっぱりここにいたのか」
黒の上下の衣に重厚なマントをつけたアラステアがやってきた。マントにはアラステアの家の紋章が入っており、いつになく神妙な面持ちをしている。
「アラステア……」
アラステアの手には、マートルの花束があった。それをリオノーラへと差し出す。
「無事にこの日を迎えられたことを、嬉しく思っている」
リオノーラは花束を受け取った。金色のリボンで纏められており、芳しい香りが漂ってくる。
『結婚式の日にお前にマートルのブーケを贈ってやるよ』
以前、アラステアがそう約束をしてくれたことがあった。彼は約束を覚えていてくれたのだと、リオノーラは胸がいっぱいになってしまう。
「ありがとう」
今日はリオノーラとアラステアの結婚式なのだ。
これからリオノーラとアラステアは、夫婦として共に歩んでいくことになる。
アラステアはリオノーラを抱きしめた。
「挙式が終わって数日後には、また暫く家を空けることになる。寂しい思いをさせてしまうが、許してほしい」
「平気よ。あなたが戻ってくるのを、待っているわ」
「……平気とか言うな。俺だけが、寂しがっているみたいだろ」
リオノーラはくすりと笑った。アラステアの呪いが解けて以来、彼は徐々に不眠症が治っていったのだ。リオノーラが傍にいなくとも、一人で昼寝ができるようにまでなった。
「だって私が寂しがったら、アラステアは心配で離れがたくなってしまうでしょう?」
「それは、そうだが……」
アラステアは口籠った。リオノーラはアラステアの体を抱き返す。
「ねぇ、アラステア。もしもルパート様がコリーンと駆け落ちをしなくて、私とルパート様が結婚することになっていたら、あなたはどうしていたの?」
「そりゃあ、俺達が駆け落ちするしかなかっただろう」
「え?」
「海の向こう側に攫ってしまったら、流石に手出しはできないだろう?」
嘘とも本気ともとれない言葉。リオノーラはややあって、笑ってしまう。
「ふふ。そう……。私を攫うつもりだったのね。悪い人」
アラステアも口元に笑みを浮かべた。アラステアはリオノーラのおろした髪の毛へと指を差し込み、すっと梳いた。
「今日も、俺のために髪の毛をおろしてくれているんだな」
「おかしい?」
「いや、こっちのほうが好みだ」
「よ、よかった」
彼に髪色が好きだと言われているリオノーラは、この一年で髪の毛をおろすことが多くなった。アラステアはリオノーラの髪型に必ず気付き、その都度とても嬉しそうに頬を緩める。リオノーラとしてもそんな彼の顔が見たくて、髪をおろす機会が自然と増えてしまったのだ。
「リオノーラ。覚悟しろよ。俺はもう絶対に、お前を手放すつもりはないからな」
「うん。どうか、ずっと手を離さないでね」
アラステアはリオノーラの顔に両手を添えると、甘い口付けをした。
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