エピローグ
教会のハンターたちによる襲撃から、四日が経った。リアは自分の家の居間にて、夏休みの宿題をしている最中。
(己岡っていう教会のハンターが群狼村から出て行ったあと、群狼村を覆っていた結界が消えた。その後たった一日で、村人全員の記憶を書き換えられ、遺体も全て回収された)
神狼家と大神家の方からたくさんの人員が派遣されてきて、即座に事態の収拾に当たったのだ。しかしながら、屋敷ではまだ慌ただしいらしく、シリル、ラウル、ノエたちは対応に追われているようだった。特にシリルは忙しいようであり、報告などで神狼家の本家を行ったり来たりしているらしい。ラウルもまた、シャンポリオン学院の寮で暮らしている生徒たちに説明をしたり、相談に乗ったりしているとのことだった。今回の事件で生徒の中からもかなり死者が出たため、不安を訴える者が多いそうだ。
「はぁ……」
リアもまた、大きな悲しみを抱えていた。家の居間にて夏休みの宿題をしていたのだが、手が止まる。思い出すのは、教会のハンターによって殺された、シリルの屋敷の者達だ。亡くなった者たちの葬式に参列したかったが、それぞれの故郷にて密葬することになったらしい。そう説明をしてくれたのは、一度リアの見舞いへ訪れたナタナエルだった。
(あんな惨劇があったのに……)
村人から死者は出なかったため、村はすっかり元の日常だった。だが、完全に終わったわけではない。己岡の行方は依然として知れず、足取りが全く掴めていないからだ。もしも彼が教会へ戻って報告をすれば、またハンターが送られてくるだろう。一応何人か捕えた黒いローブの男たちに暗示をかけ、群狼村にいた魔物は討伐した、という報告をさせたらしい。その報告が虚偽だと知られないようにするためにも、己岡を早急に見つける必要があるそうだ。
(でも、かなり深い傷を負っていたらしいし、川で溺れた可能性もある、ってノエ君が言っていたっけ……)
現在も屋敷には、神狼家と大狼家から派遣されてきた人狼が、よく出入りをしているらしい。そのため、余程の用件がなければ近づかないように、と言われている。というのも、シリル達はリアの存在を隠しており、見つかることを好ましく思っていないからだ。どうしてなのかは説明をされていないが、おそらく面倒なことになるのは想像できた。
ふと時計を見れば、夕方の四時だった。
(ノエ君、もうすぐかな……)
夕方になると、ノエが家にやってくるのだ。彼は一人でいるリアを心配し、夜は護衛を兼ねて泊まって行く。その際は一階にある客室を利用しており、リアの自室がある二階へは決して上がってこない。しかも彼は、三食分の食事を用意してくれた。その内夜と朝は、一緒に食事をとっている。このときにリアは、ノエから現在の状況がどうなっているのか、説明をしてもらっているのだ。
リアがぼんやりしていると、呼び鈴が鳴った。はっとすると、玄関まで移動をして、扉を開く。すると、ノエが立っていた。屋敷から食材を分けてもらってきたのか、大きな段ボールを抱えている。
「リア先輩、お邪魔しますね」
「うん。いつもごめんね」
「いえ、僕が好きでしていることですから。リア先輩はまだ体調が悪いんですから、座っていてください」
ノエは、勝手知ったる他人の家状態で、台所へ向かった。食材を冷蔵庫などに片づけ、すぐに夕食の準備にとりかかる。
「何か手伝えること、ある?」
リアが台所に顔を出すと、ノエはリアの額に手を当てた。そして、良くない顔をする。
「……やっぱり、まだ熱が下がりませんね。食欲も落ちていますし……」
四日前、体調を崩してからずっと、熱が下がらなかった。日に日に倦怠感が増しており、一向に良くなる気配がない。世森病院で検査もしてもらったのだが、風邪などではないとのことだった。ノエは原因に心当たりがありそうなのだが、なぜか教えてもらえない。
「大丈夫だよ。ノエ君は心配性なんだから」
「リア先輩には、心配性なぐらいが丁度いいんです。今日はどうしていたんですか?」
「家の掃除と洗濯をしてから、夏休みの宿題をしてたよ」
そう答えると、ノエが清々しい笑顔を浮かべた。リアは直感的にまずい、と思う。
「掃除? 洗濯? 僕は朝、きちんとベッドで寝ていてください、と言いましたよね? 掃除と洗濯は、僕がこっちへ戻ってからやります、って言ったはずですけど」
「で、でも、毎回やってもらってて、悪いし……。それに、今日は本当に調子が良く……」
最後まで言い切らぬ内に、リアはノエに手を引かれて居間まで連れて行かれた。ソファーへ座らされると、頬に手を添えられる。
「リア先輩。僕は、どうしてリア先輩が調子を崩しているのか、知っているんです。無理をすると大変なことになるので、お願いですからじっとしていてください」
心配しすぎだと、言えない雰囲気だった。リアは目を伏せる。
「ごめんなさい……」
ノエはリアの唇へキスをした。
「約束ですよ」
なぜキスをするのだろう、と思った。彼はいつも、唐突にキスをしてくる。だがそれは唇へ触れるだけの、軽いものだ。
「ノエ君は、どうして私にキスをするの?」
躊躇いがちに、訊いてみた。するとノエは、柔らかく微笑んだ。その瞳は、どこか小悪魔めいた雰囲気がある。
「どうしてだと思います?」
「し、質問を、質問で返すの、ずるいと思う……」
「じゃあ、リア先輩がもうちょっと大人になったら、教えてあげます」
リアは頬を膨らませた。彼は学年が一つ下だからだ。
「ノ、ノエ君、私より年下でしょ! なんで、私を子供扱いするかなぁ」
そう抗議すれば、彼は意味深にただ笑った。そしてソファーから立ち上がる。
「では、僕は夕食を作ってきますね。リア先輩はのんびりテレビでも見ながら、待っていてください」
リアはテレビのリモコンを手にすると、テレビをつけた。ソファーの上で両膝を抱えると、台所に立つ彼の後ろ姿を見る。きちんと黒いエプロンをつけ、手際よく調理を開始する。
(なんだか、いっつもノエ君に負けてる気がする)
とても、悔しかった。何をどう言ったとしても、彼を翻弄するのは不可能な気がする。
「ねえ、ノエ君。あとで一緒にお風呂に入ろっか」
「わかりました。では、後程そのように準備をしておきますね」
「お風呂上りはマッサージをしてほしいな」
「是非、喜んでマッサージをさせていただきますね」
「今晩、添い寝をしてほしいな」
「リア先輩が安眠できるように、きちんと寝かしつけてあげますね」
リアは余計にむすぅ、と拗ねた。なぜ戸惑ったり、慌てたりしないのだろうか、と。
「ノエ君、さっきの全部、冗談だから」
「はい。知っていますよ」
彼を困らせてみたいというのに、うまくいかなかった。リアがいじけていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
「あれ? 誰か来た?」
ノエは食事の支度を中断すると、玄関へ向かった。
「なんで来たんですか? こっちは僕一人で大丈夫なので、どうぞ帰ってください」
「男女が一つ屋根の下で二人きり、のほうが問題あるだろ。勝手に上がるぞ」
声から察するに、ラウルのようだった。ややあって、居間に現れる。
「ラウル君、と、シリル先輩……?」
ラウルだけではなく、シリルもいた。
「葉上リア、お邪魔するよ」
ラウルとシリルは、ソファーへ座った。ラウルは相当疲れているのか、目の下にクマができている。それに対してシリルは、疲れなど微塵も感じさせない顔色の良さだ。一体この二人に何があったのだろう、と気になる。
「ラウル君、すごく疲れてるみたいだね……?」
ぐったりというよりも、げっそりといった表現が似合っていた。ラウルは項垂れている。
「あぁ。生徒の相談に乗ったり、生徒の保護者と話をしたり、挙句の果てに教師の相談にも乗ったり、大狼家のクソジジイどもから文句を言われたり、ここ連日、悪夢だからな」
「お、お疲れ様……」
同情した。彼の心労を想像し、憐憫の眼差しを向ける。リアは続いてシリルへ目を向けるのだが、彼は機嫌が良さそうだった。
「ん? 何かな?」
「シリル先輩が一番忙しかったはずなのに、ラウル君と違って疲れているように見えないので……」
「あぁ、ラウルと僕とでは、鍛え方が違うしね」
そう言えば、ラウルがシリルを睨んだ。
「本来なら理事長の孫であるお前がやるべき仕事を、俺が代理でやっているんだが。お前、めんどくさいからって、全部俺に丸投げしただろ」
シリルはラウルの申し立てを無視した。
「……まぁ、半分は冗談として。実は、ヴェルテート国にいる親戚が、今回の責任は僕にあると追及してきてね」
台所で調理をしているノエが、会話に参加した。
「ヴェルテート国の親戚というと、僕たちのはとこの一家ですか?」
はとこ、ときいてリアは首を傾げた。これにシリルが説明をしてくれる。
「僕とノエの共通の祖父には、妹が一人いてね。その方の孫が、僕らからすると、はとこにあたるんだ」
「へー。仲がいいんですか?」
シリルは爽やかな笑顔を浮かべた。
「僕、バカは嫌いなんだ。付き合う友人ぐらい、選ぶよ」
いつもより二割増しの王子様スマイルで、とんでもないことを言った。返答に困ってノエを見るのだが、彼はテーブルに出来上がった料理を置いている。
「お爺様の妹さんは少々困った方でしてね。ご自分の孫をなんとか未来の国王にしたいみたいで、何かとシリルさんや神狼家に嫌味などを仰るんですよ。孫もちやほやされて育ったものだから、すっかり自分が有能だと思っているみたいで。……まぁ、今回もどうせ、シリルさんや神狼家に責任をなすりつけて、未来の国王候補から除外させようと企んだんでしょう」
なるほど、とリアは頷いた。シリルは相変わらず笑顔のままだ。
「はとこはバカだけれど、可愛いと思っているよ。いつも僕の引き立て役になってくれるしね。あいつが僕につっかかってくる度に、僕の聡明さと気品が際立つ」
シリルにここまで言われる人物に、逆に興味がわいた。それが表情に出ていたのか、ラウルが大きなため息をつく。
「言っておくが、表現を誇張しすぎてるわけじゃねえぞ。あいつ、本当にバカだからな。初対面のときに、俺のことを極東のサル呼ばわりしたし。シリルに関しちゃ、地雷を踏み抜いたもんだから、相当嫌われてる。被害にあってないのは、ノエだけじゃねえのか?」
ノエの視線が集まった。彼はにこにこと笑顔を浮かべている。
「優しい方なので、たくさん僕のことを憐れんでくださいましたよ。人狼族は実力主義なところがあるから、非力で軟弱だと下っ端として生きるしかないだろう、って。まぁ、確かに僕は体が弱いですし、言われても仕方がないんですけどね」
リアは憤慨した。
「酷い……、私がその場にいたら、絶対に怒るのに」
そう言うと、ノエは笑った。
「あ、大丈夫ですよ、リア先輩。僕、気にしていませんから」
これに、シリルとラウルが得心がいったような顔をしていた。ラウルはやや、ひき気味だ。
「そういえば、お前確か中学はあいつと一緒だったな。クラスも一緒だったんじゃなかったか?」
「はい。途中から通い始めたんですが、成績はずっと学年トップでしたよ。卒業式のときは、生徒代表で挨拶をしましたしね。……そういえば、僕が通う前までは、あの人が学年トップだったらしいと聞きました」
「……お前も、大概根に持つ奴だな」
「全然そんなこと、ありませんよ。……で、シリルさんのほうはどうしたんですか? 責任を追及されたんでしょう?」
シリルは頷いた。
「うん。親族が集まってモニター越しに会議をしたんだけれど、神狼家に責任があると言われてね。僕としては真摯に、どういう対処をしたか事細かく説明をしたんだよ。あと、教会に群狼村のことを密告した誰かがいる、というのも伝えた。詳しく調査をしたところ、その密告者は公にできない名前の人物だった、と」
まさか、とその場にいる全員が思ったのだろう。ラウルは視線をそらし、リアは眉を寄せ、ノエは聞かなかったとばかりに台所へ戻る。
「それって……、大丈夫なの?」
シリルは楽しげだった。
「大丈夫じゃないだろうね。まぁ、そんなことが明るみになれば大変な事態になるだろうから、事実はもみ消されるだろう。……僕が報告したときの、親族の顔といったら」
くすくすと、彼は笑っていた。ラウルは右手で目元を覆う。
「バカだバカだとは思っていたが、そこまでバカだったとは……。だが、あいつは密告しただけなんだろ?」
リアは首を傾げた。
「どういう、こと?」
ラウルは険しい表情だった。
「今回の事件、俺たちでも把握できていない第三者が介入してた、ってことだ」
「第三者……。教会のハンターや、シリル先輩の親戚以外、ってこと?」
「あぁ。群狼村に結界が張られてただろ。当初は教会の連中が人狼を逃がすまいと張ったものだと考えられていたが、実は違うと判明したんだ。かなり強固な上に、人間では扱えない術だった。つまり、魔の者が関わってる、ってことだ」
「じゃあ、教会の人たちと私たち以外に、誰かがいた、ってことですか?」
「あぁ。俺たちに気配を全く悟らせず、しかも痕跡が一つも残っていない。現時点では敵か味方かわからないが、恐らくそいつは教会の連中が外へ出ることを防いだんだ」
ややあって、リアはハッとした。
「当初、私たちは荒骨山に教会の人たちがいると気づいていなかった。もしも劣勢になれば、彼らに逃亡される可能性があった。だから、結界で防いだ……?」
「おそらくな。きっとそいつは、最初から知っていたんだろう。荒骨山に連中がいる、って」
急に不穏な空気になり、リアは身震いした。正体がわからない存在が、どこかにいる。しかも、敵か味方か不明。
と、ここでノエが声を発した。
「あまり、リア先輩を怖がらせないでください。ただでさえ体調が悪いのに、これ以上悪化したらどうするんですか」
ラウルが気遣わしげな目をした。
「まだ良くならないのか」
「えぇ」
深刻そうな空気になり、リアは話題をそらすことにした。
「すっごくいい匂いがする。ノエ君、今日のお夕食はなあに?」
「今日は、豚肉の梅紫蘇巻、夏野菜の煮びたし、お豆腐とワカメの味噌汁、あとしらす丼です。それと、シリルさんの屋敷で働いている料理長から差し入れで、タコのポテトサラダとブドウのタルトがあります」
「料理長さんから?」
「はい。いつも料理をおいしいと言って、残さず食べてくれるリア先輩を心配していました。屋敷の皆も、リア先輩がいなくて寂しがっています」
「そっか……。あとでお手紙書くね。……しっかりご飯を食べて、早く元気にならないと」
「そうですよ。早く元気になってください。……それでは、夕食にしましょうか」
シリルがすかさず口を挟んだ。
「僕たちの分もあるんだろうね?」
「えぇ。ナタナエルから、シリルさんがリア先輩のお見舞いへ来る、って話をきいていたので」
「良かった。料理長に今日は夕食を作らなくていい、って言ってこっちに来たから」
各自テーブルへ移動すると、食事を始めた。ノエの料理はいつも盛り付けが綺麗であり、味つけも繊細でおいしいのだ。そうして食事を始めて間もなく、家へと近づいてくるバイクの音に気付いた。ノエは怪訝そうにする。
「誰でしょう……? リア先輩の家の前で停止したみたいですけど……」
ややあって、玄関の扉が開く音がした。しかも、家に上がり、廊下を歩いてくる。
「リア、帰ったぞー」
そう告げて居間へ入ってきた人物を見て、リアは素っ頓狂な声を上げた。
「カイお兄ちゃん!」
背が高く、体格の良い男性だった。少し短めに切りそろえられた髪は黒く、瞳は灰色。半袖のポロシャツの上からでもしっかりとした胸板がわかり、腕や足はややがっしりしている。堀の深い顔立ちはとても華やかで、大人の男性特有の色香が漂っている。
「あれ? 友達と一緒だったのか。しかも男三人とは」
「あ、うん。シャンポリオン学院で知り合ったの。私の正面の席にいるラウル君は私の幼馴染で、その隣にいるのが、シリル先輩。シャンポリオン学院の生徒会長なの。で、私の隣にいるのが、ノエ君。一つ学年が下の後輩になるんだけれど、体調を崩してる私を心配して、食事を作りに来てくれてるの」
ノエが挨拶をした。
「初めまして、世森ノエです。リア先輩に、いつもお世話になっています」
続いて、シリルが挨拶をした。
「初めまして、神狼シリルです。お邪魔をさせてもらっています。今日は、彼女のお見舞いに来ました」
同様に、ラウルも挨拶をした。
「初めまして。大狼ラウルです。彼女とは幼馴染で、その縁で仲良くさせてもらっています」
男性は、にこやかに笑みを浮かべて頷いた。
「初めまして、灰瀬カイだ。リアの保護者をしている。今日はうちの娘のために来てくれて、ありがとう」
ラウルはじっと、カイの顔を見つめた。
「あの……、失礼ですが、灰瀬さんは、外国の方なんですか?」
灰瀬カイは、どこからどう見ても、日本人には見えなかった。
「ん? あぁ、そうなんだ。俺の両親が日本に帰化していてね」
リアはむっとしていた。
「もう、カイお兄ちゃんってば。帰ってくるなら、一言連絡をくれたらよかったのに。びっくりするじゃない」
「お前を驚かせようと思ったんだよ。サプライズ、ってやつだ。それはそうと、お前も隅に置けない奴だなぁ。大人しい性格をして、ボーイフレンドが三人とは」
「へ、変なことを言わないでよ。お友達に失礼でしょ」
カイは肩を竦めた。肩に引っ掛けていた大きな黒いリュックを床へ下ろすと、中から何かを取り出す。それは、どうやら旅先で買ってきた酒や土産物のようだった。
「あんまり他の男と仲良くすると、許嫁のエレフが妬くぞ」
許嫁、という言葉にノエ、ラウル、シリルの三人がリアへ注目した。ノエは余程驚いたのか、目を丸くしている。けれどもそのことに気づかないほどに、リアも頭の中が真っ白になっていた。