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狩り
アラステアに抱かれたリオノーラは、彼とどう接していいかわからずに途方に暮れた。だがそんなリオノーラの悩みが天に通じたのか、アラステアは領地の見回りへ行くために十五日ほど城を留守にしたのだ。
そうして今日は、アラステアが戻ってくる日だった。
本来ならば妻となる予定のリオノーラは、戻ってくるアラステアを出迎える準備をしたほうがいいのだろう。だが、リオノーラはどうしてもアラステアの顔を見たくはなかった。結婚もしていないというのに、アラステアに純潔を奪われてしまったのだ。許せるわけがない。だがしかし、リオノーラは彼に不誠実なことをされたにも関わらず、どこかほっとしていた。脳裏に浮かぶのは、アラステアの左手にある傷跡。彼は自分を助けるために、傷を負ったのだ。ならば、彼に傷つけられたとしても仕方がないように思えた。
リオノーラが溜息をつくと、部屋の外から足音が聞こえてきた。規則正しい乱れのない足音が誰のものなのか、リオノーラはすぐにわかる。
「リオノーラ、戻ったぞ」
二度のノック後に開け放たれた扉。部屋へと入ってきたのは、リオノーラの予想通りアラステアだった。だがリオノーラは刺繍が施された白いソファーへと座したまま、アラステアから顔を背けるように横を向いて無視をする。
「……」
気まずい沈黙が下りた。だがアラステアは気にせずリオノーラの隣へと腰掛けると、やれやれと言わんばかりの笑みを浮かべる。
「なんだよ、まだ怒っているのか?」
アラステアはリオノーラの頬を指で突いた。リオノーラはアラステアのその手を払うと、距離を取るようにソファーの端へ移動する。
「……おかえりなさい」
消え入りそうなか細い声で、そう告げた。アラステアは嬉しそうに微笑む。
「視察はとくに問題はなかった。お前のほうはどうだ? 俺の留守中、何か問題はなかったか?」
「多分、大丈夫……」
「そうか。……明日は遠出するから、準備をしておけ」
「え?」
リオノーラはアラステアへと振り返った。彼は留守にしていた間に届いた手紙の束へ目を通している最中。その内の一通をまるで睨むかのように険しい様相で読んでおり、一体どんなことが書かれているのか心配になってしまう。だがそれよりも、もっと気になることがあった。それは、彼の目の下にあるクマ。陰影の加減でそう見えるだけだろうかとも思うが、やはりクマがある。
「貴族の付き合いだ。明日は狩りに行く」
狩り、と聞いて、リオノーラは顔を顰めた。夏になれば狩りは盛んになるが、今はまだ時期が少し早い。そしてリオノーラは、狩りが苦手だった。狩りに参加をするのは男性のみだが、狩りで仕留めた獲物の姿を見るのは苦手だからだ。
「どうしても、参加をしなければいけないの?」
「あぁ。諦めろ。明日は、仕事の取引関係の連中も来るからな」
断ることはできそうになかった。リオノーラは、何か失敗をしてしまったらどうしよう、と不安になってしまう。そんな気持ちを見透かしたかのように、アラステアはリオノーラの頭を優しく撫で付けた。
「お前はにこにこと、俺の隣に立っているだけでいい。何も心配しなくていい」
安心させるかのように、アラステアが微笑んでいた。リオノーラはその笑みを見た途端、胸がどきどきするのを感じる。それが何とも居心地が悪く、アラステアの手を再び払っていた。
「……っ」
彼から顔を逸らすように、リオノーラは彼がいる方とは反対を向いた。アラステアはなぜかクスクスと笑い始める。だが、それ以上は何も言わなかった。
翌日。空は澄み渡るかのような快晴だった。夜明け前にアラステアや従者達と城を出たリオノーラは、黒塗りの木造の馬車の中でぼんやりとしていた。アラステアは馬車の中は退屈だからと、自らの黒毛の馬へ乗って馬車と並走している。だがそれは口実だとわかっていた。アラステアは、未だ機嫌を損ねているリオノーラを気遣って、敢えて馬車の外にいることを望んだのだ。
「リオノーラ様。喉は乾いておりませんか?」
一緒の馬車に乗っているのは、シルヴェストルだった。リオノーラの身の回りの世話をするために、付き添っているのだ。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
もうとっくに夜は明けていた。御者の話によれば、あと少しで狩場である狩猟園(パーク)へ到着するとのこと。リオノーラは浮かない表情で膝の上で結んだ両手へ視線を落とす。
「リオノーラ様。アラステア様と、仲直りはされましたか?」
シルヴェストルの質問に、リオノーラは首を振った。彼に対していつまでも怒っているべきではないと思う気持ちと、まだ納得できない気持ちが相反しているのだ。事情を唯一知っているのはシルヴェストルだけであり、彼女は親身にリオノーラの相談に乗っていた。
「このままじゃいけないって、頭ではわかっているの」
シルヴェストルは頷いた。彼女は城より持参してきたバスケットを手にすると、中から白いリネンに包まれた何かを取り出した。中に入っていたのは、リオノーラがアラステアより貰ったピンクのパールのネックレス。
「リオノーラ様。これを身に着けて、仲直りのきっかけにされてはどうでしょうか」
リオノーラはピンクのパールのネックレスを手にした。アラステアがプレゼントしてくれたものであり、彼が似合うと言ってくれたものでもある。
「仲直り、できるかしら……」
「えぇ、きっとできますよ」
リオノーラは苦笑すると、首へとピンクのパールのネックレスをつけた。薄い緑と白が合わさったドレスとの相性がよく、ピンクのパールのネックレスがよく映える。
「シルヴェストル、ありがとう」
シルヴェストルはやんわりと微笑んだ。リオノーラにとって彼女はまるで本当の姉のようであり、心から信頼できる人物。おそらく、彼女の支えがなければリオノーラはどうしていいのか心底困り果てていただろう。
こうして会話が途切れたところで、馬車が停止した。狩場へと到着したのだ。扉がノックされた後に開かれ、リオノーラは御者の手につかまって馬車を降りる。アラステアも丁度馬の背から降りたところであり、周囲を見渡していた。木々に囲まれた広場。そこには、リオノーラ達以外の貴族や猟師(ハンツマン)達が集まっていた。馬車も多く、男性のみならず着飾った女性達も多い。どうやら夫婦や家族で訪れているようであり、楽しげな会話が聞こえてくる。
「リオノーラ。ここまでの道はあまり良くなかったが、馬車に酔わなかったか?」
アラステアに声をかけられて、リオノーラはびくりと体を震わせた。アラステアは弓矢をセドリックへ預けたところであり、リオノーラの正面へ立つ。
「う、うん。平気……。アラステアは?」
ずっと馬に乗って移動をしてきたのだ。彼のほうこそ疲れているのではないかと考えた。だがアラステアはリオノーラの額を指先で小突く。
「これぐらいで疲れるほど、俺はやわじゃねえよ」
「そ、そう……」
アラステアはリオノーラの首元へと注視した。リオノーラが身に着けているピンクパールを指でそっと撫で、口元に軽い笑みを浮かべる。
「お前の髪色とよく似合っている」
「え?」
かぁっ、と顔に血が集まるのがわかった。彼にそのように容姿を褒められるなど、今までなかったことだ。
「ほら、挨拶回りに行くぞ。ぼーっとするな」
アラステアに手を引かれて、リオノーラは歩き出した。快適な気温であり、清々しい風が頬を撫でる。日向ぼっこでもしたい気候ではあるが、気を抜くことはできなかった。アラステアはリオノーラの手を引いて顔見知りの貴族へ話しかけると、挨拶を始める。
「お久しぶりです、ベントリー伯爵。本日は狩りへお招きいただき、ありがとうございます」
ベントリー伯爵。リオノーラも、彼のことを知っていた。というのも、父が主催したパーティーなどで、幾度か挨拶をしたことがあるからだ。リオノーラの父よりも年齢が上であり、シルバーグレイの口髭と髪が似合う貴族然とした男性。
「あぁ、久しぶりだね、アラステア。随分と立派になって、見違えたよ。君の噂は聞いているよ。そちらの女性は……」
「私の婚約者である、リオノーラ・フレイドルです」
「……あぁ、道理で見覚えが。フレイドル伯爵の娘さんか。あまりに美人すぎて、一瞬わからなかったよ。それにしても、婚約者、とは? 私の記憶違いでなければ、彼女は確か君のお兄さんの婚約者ではなかったかな?」
「諸事情により、兄とではなく、私と婚約することになったのです」
「そうだったのか。結婚式には是非とも呼んでほしい」
「はい」
他にも挨拶回りをしなければいけないと、狩りの主催者であるベントリー伯爵は去って行った。リオノーラは表情を暗くしてしまう。アラステアの兄であるルパートと婚約者だったことは、なかったことにはできない事実。リオノーラは何とか平然とした態度を保とうとしたが、どういうわけか周囲の男性達からの視線を感じた。まるで舐めるような視線に、リオノーラは冷や汗をかいてしまう。
「どうした、リオノーラ。顔色が優れないようだが、気分でも悪いのか?」
アラステアがリオノーラの顔を覗き込んだ。
「あ……、うん。やっぱり少し、馬車に酔ったみたい」
「そうか。じゃあ、お前はあっちでシルヴェストルと少し涼んでいろ。俺は挨拶回りに行くから」
「うん……。ごめんなさい」
リオノーラはアラステアから離れた。シルヴェストルと合流をすると、広場から少し離れた小川の傍にある木陰で休む。アラステアへ視線を向ければ、セドリックを伴って貴族達と話をしていた。中には自分の娘を結婚相手にどうかと勧めている男性もおり、リオノーラは見ていられなくて俯いてしまう。
「アラステア様、人気がありますね」
シルヴェストルの言葉に、リオノーラは頷いた。ちらりともう一度アラステアを見れば、独身女性と見られる者達に囲まれており、貴族らしく優雅な笑みを湛えながら挨拶をしている。リオノーラの前では尊大な態度である彼も、現在はどこからどう見ても完璧な貴族として振る舞っている。
「あんなアラステア、見たことがないわ……」
まるで知らない男性のように思えた。だがシルヴェストルはくすりと楽しそうにする。
「そうですか? リオノーラ様がいらっしゃられない所では、アラステア様はいつもあのような感じですよ」
「え?」
「リオノーラ様の前では、ご自分を偽らず、本来のお姿で接することができるんでしょうね」
リオノーラはアラステアのこれまでの行動を振り返った。嫌がらせとしか思えないことを散々されてきたのだ。
「わ、私のことを玩具か何かと勘違いをして、からかっているだけだわ」
きっとそうだ。リオノーラはそう考えながらも、頬が熱くなるのを隠せなかった。両手で頬を抑えて熱を抑えようとするが、あまり効果はない。
「おい、リオノーラ」
いつの間にか、アラステアが隣に立っていた。
「きゃっ」
「あぁ、悪い。驚かせるつもりはなかったんだが」
リオノーラはアラステアの顔を見上げた。
「……、どうしたの?」
「狩りに行ってくる。お前はシルヴェストルと待っていろ」
「う、うん」
気を付けて、という言葉を発したかったが、リオノーラは言うことができなかった。アラステアを前にすると、どうしても素直になれないのだ。アラステアはというと、すぐに馬に跨って他の貴族達と一緒に鬱蒼とした森の中へ行ってしまう。少ししてどこからか角笛の音が響いてくる。
「どうやら、獲物を見つけた合図のようですね」
シルヴェストルが言った。角笛は猟師(ハンツマン)と呼ばれる城お抱えの狩り専門職の者達が用いる道具であり、猟犬を操るのに用いられるのだ。リオノーラはアラステア達が向かった森の方へと視線を投げかける。
「獲物って、何を狩るのかしら……」
「今の時期だと、おそらく鹿でしょうね。鹿を仕留めるための大きな猟犬を連れていきましたし」
「シルヴェストル、詳しいのね」
まるで狩りを見たことがあるかのように話すシルヴェストル。本来狩りは男性のものであり、女性が行うことはない。
リオノーラは、シルヴェストルが一緒にいてくれて良かったと心から思った。というのも、リオノーラは人が多い場所が苦手だからである。理由は、自らがコンプレックスに思っている髪の色。それを人に見られるのも嫌だというのに、今日はアラステアの婚約者としてここへ参加しているのだ。奇異の目で見られることは避けられないとわかっていても、どうしても平常心ではいられない。
「リオノーラ様。少し遅くなりましたが、朝食にしませんか? リオノーラ様が大好きなドライフルーツのパンをお持ちしました」
シルヴェストルは、木陰に敷布を広げた。そしてバスケットの中から、エールと呼ばれる酒を造る酵母を用いて作られた甘いパンを取り出す。スパイスとドライフルーツが一緒に練りこまれたパンなのだが、ややずっしりとしているために一つ食べただけでもお腹が膨れるのだ。シルヴェストルはそれを白い皿へ置くと、リオノーラへ差し出す。
「ありがとう、シルヴェストル」
リオノーラは敷布の上へ座ると、そのパンを食べ始めた。シルヴェストルはその間に林檎酒を用意する。
「リオノーラ様。ローズウォーターを用いたケーキもありますよ。果物も持ってきたんです。たくさん食べてくださいね」
「うん。シルヴェストルも食べてね。私より早く起きて用意をしているはずだから、お腹がすいているでしょう?」
「私はリオノーラ様のお食事が済んだあとに、少しいただきます。お気遣い、感謝します」
森林と小川の長閑な風景を眺めながら、リオノーラはシルヴェストルと食事を楽しんだ。
食事が済んで暫くした頃。リオノーラは綺麗に着飾った女性達が歩いてくることに気が付いた。小川の傍を散歩でもするのだろうかと考えるが、彼女達が見ている先はリオノーラである。リオノーラは敷布から腰を上げると、立ち上がった。やってきた女性達はリオノーラを取り囲み、そして足の先から頭まで品定めをするかのようにじっくりと見る。
「アラステア様の婚約者だというから一体どれほどの方かと思ったけれど……、大したことないわね」
リオノーラの正面に立った女性がそう告げると、周囲の女性達がおかしそうに笑った。リオノーラとしては、これはどういう状況だろうと頭を悩まさずにはいられない。はっきりとわかっているのは、彼女達には明確な悪意がある、ということ。
「あの……?」
「本当に田舎臭い顔立ちだこと。あぁ、失礼? 私はロザーナ・ベントリーよ」
今回の狩りの主催者であるベントリー伯爵の息女だと察した。狩場には不似合いなほど豪奢に着飾っており、胸元や腕には大きな宝石を散りばめた装飾品を身に着けている。人目を引く派手な装いにも関わらず、それを着こなすだけの美貌を彼女は持っていた。
「何か、御用でしょうか」
「私達、知っているのよ。あなたがアラステア様とどうして婚約者同士になったのか。あなたの婚約者、侍女と駆け落ちしたんですってね」
リオノーラは目を丸くして僅かに声を失った。
「どうしてそれを……」
「まぁ! 噂は本当だったのね」
リオノーラは、鎌をかけられたのだと察した。しまったと思うが、どうすることもできない。
「……っ」
「せっかくあの精悍で気品溢れるアラステア様が狩りへ参加すると聞いて、私達にもチャンスが巡ってきたと思ってここまで来たというのに、あなたのようなお下がりがいてとっても残念だわ。アラステア様もお下がりの婚約者だなんて、本当にお可哀想」
否定できなかった。リオノーラも、彼女達と同じことを思っているからである。駆け落ちをしたルパートとの婚約が破談となり、そのすぐ後にアラステアとの婚約になったのだ。アラステアが不満に思っていないはずがない。
「アラステアが誰と婚約をしようと、あなた達には関係がないと思うわ」
これに周囲の女性達が楽しげに笑った。リオノーラは怪訝そうにしてしまう。
「あなたが本妻でも、私達は別に構わないの。だって、政略結婚でしょう? アラステア様も外に本命の恋人を作りたいはず」
「な……」
正気だろうか、とリオノーラは耳を疑った。だが彼女達が冗談を言っているようには思えない。
「地位も名誉もあり、国王の期待を一身に受けるアラステア様。あれほど素敵なお方だったら、一夜のお相手でも構わない、と思っている女性は多いのよ。もしもアラステア様の婚約者が私達に到底敵わないような方だったら諦めもつきますけど……」
ロザーナ達は周りの女性達に目配せをして嗤った。リオノーラなど敵にならない、と態度でそう示し合わせているのだ。
「アラステアは、浮気をするような、そんないい加減な人じゃないわ」
そうは言ったものの、リオノーラは今ひとつ自信が持てなかった。彼から愛を囁かれることもなければ、愛を告げないとまで宣言されているのだ。しかも、婚前だというのに抱かれてしまった。彼のことを不誠実ではないと、言い切ることができない。
「そうかしら。あなたにアラステア様を引き留めるだけの魅力があるとは思えないのだけれど」
「……っ!」
「アラステア様は今まで誰にも靡かなかったから、ずっと心に決めた意中の女性がいるとの噂もあったけれど、真実ではなかったようね。だって、あなたのようなお世辞にもお美しくない方と婚約なんだもの。地位も名誉も栄光も手に入れたアラステア様の妻が、あなたみたいな方だなんて。不幸としか言いようがないわ」
リオノーラは無意識の内に、首元にあるピンクパールのネックレスへと触れていた。自分と一緒にいることが彼にとっての不幸であることなど、十分に理解していた。そして、この婚約が個人の勝手な理由で破棄できないことも。彼は、結婚が嫌だとしても断ることができない枷がはめられているのだ。
「そんなの……」
自分が一番わかっている、と言い返したかったが、それはできなかった。そんなことを彼女達に言ってしまえるほど、リオノーラの矜持は安くはない。
「あなたがさっきから気にしているネックレス。もしかして、アラステア様から頂いたの?」
「え?」
すぐに手を下げた。だがロザーナは邪悪な笑みを浮かべている。
「それ、とっても素敵ね。私もつけてみたいわ。貸してくださらない?」
アラステアがくれたネックレス。リオノーラは首を振る。
「ごめんなさい。これは貸せないわ」
「どうして? いいじゃない。貸してよ」
ロザーナがリオノーラのネックレスへと手を伸ばした。それを掴むと、思い切り引っ張る。すると、ブツンッ、という乾いた音がした。リオノーラは一瞬遅れて、紐がちぎれてピンクパールが飛び散ったのだと知る。
「あ」
「あら、ごめんなさい? でもあなたが悪いのよ? 素直に貸してくださらないから」
地面に落ちたピンクパールの光る粒。それらは運悪くも川の中へ落ちたものもあった。リオノーラは顔面を蒼白にすると、川の中へと入った。幸いにも川は浅く膝より下の水深だが、ピンクパールがどこに落ちてしまったのかはわからない。
「どこに……」
拾わなくては、と思った。アラステアが初めて自分へとプレゼントをしてくれたものなのだ。
「リオノーラ様、上がってください! 濡れてしまいます!」
シルヴェストルが岸から叫んでいたが、リオノーラの耳には届かなかった。両手を水の中へつけて探すが、ピンクパールは見つからない。次第に、どうしよう、と焦りの気持ちが強くなる。仲直りのきっかけになれば、と身に着けていたというのに、まさかこんなことになるとは予想外もいいところ。
――これじゃあ、アラステアと仲直りをするどころか、益々……。
焦りが生じるあまり、リオノーラは足を滑らせて川の中で転んでしまった。これを見た女性達は楽しげに嗤っている。
「まぁ、なんてはしたない」
「本当ね。でも、水に濡れている姿のほうがよくお似合いだわ」
馬鹿にされている言葉が耳に届くが、そんなことはどうでもよかった。リオノーラは腰から下が水浸しになっているにも関わらず、立ち上がってピンクパールを探す。
「お願い、出てきて……っ」
自らがあまりにも不甲斐なくて、涙が溢れてきた。だが両手でしっかりと水をかき分けて中を探す。
「おい、リオノーラ! そこで何をやってるんだ!」
怒声とともに、アラステアが走ってくる姿が見えた。彼は何の躊躇いもなしに川の中へ入ると、リオノーラの体を無理やり抱き寄せて、岸へ上がる。
「アラステア……」
狩りへ行っていたはずのアラステアがいた。狩りへ行っていた他の貴族達も戻ってきていることから、狩りが終わったのだと知る。
「おい、何をやっていたんだ。こんなにびしょ濡れになるまで。怪我は?」
彼の顔を見ることができなかった。そんなリオノーラの傍へやってきたのは、シルヴェストル。
「リオノーラ様、申し訳ありません。地面へ落ちた分はなんとか全部集めたのですが」
彼女の両手に、ピンクパールの粒があった。だが、ネックレスとして連なっていた分と比べて、明らかに数が少ない。
「あ、ありがとう……、シルヴェストル」
リオノーラはそれを受け取ると、涙で声が出なくなってしまった。アラステアに謝らなければと思うのに、怖くて彼の顔を見ることができないのだ。
「お前が壊したのか?」
そんな声が上から降り注いだ。だがリオノーラは首を振る。
「そんなこと、しない……っ」
「だろうな。お前はこんなことをするような奴じゃない。……まぁ、どうしてこんなことになったのか、大凡の見当はつく。だから、お前がそんな後ろめたそうな辛気臭い顔をする必要はない」
アラステアは、リオノーラの周りにいた女性達へと冷淡な視線を向けた。これに女性達は青ざめて怯み、気まずそうに視線をそらす。
「アラステア、ごめんなさい……。ごめんなさ……」
アラステアはリオノーラの言葉を遮るように右手で顎を捉えると、そのまま持ち上げて唇へ口付けた。彼の顔を見れば不安の入り混じった心配そうな表情をしており、リオノーラは余計に申し訳なくなってしまう。
「これぐらいのことで、泣かなくていい。むしろ、お前に怪我がなくてよかった。……馬車の所へ行くぞ。そのままだと風邪をひくから、着替えたほうがいい」
「え? でも、着替えなんて」
「準備のいいシルヴェストルのことだから、着替えの一つや二つ持ってきているだろう」
シルヴェストルはにこやかに頷いた。
「リオノーラ様、馬車まで戻りましょう」
リオノーラはアラステアに肩を抱かれた状態で、馬車まで歩き出した。
服を着替えた後、リオノーラはアラステアと一緒の黒馬へと乗っていた。馬の背には横座り用の鞍が乗せられており、リオノーラはアラステアの後ろで彼の腰を抱くようにして座っている。左右の道は見渡す限りの平原がどこまでも続いており、風が吹けば葉の擦れる音がザァッと波のように響いた。
「ねぇ、どこに行くの?」
「このすぐ近くに、俺の邸がある。そこへ行く。馬車だと遠回りをしないといけないが、馬だけなら近道があるからな」
馬車はセドリックとシルヴェストルに任せ、現在は別行動をしているのだ。
「邸?」
「あぁ。現在俺達がいるドゥヌカ城ではなくて、普段俺が暮らしている場所だ。今からドゥヌカ城へ戻ると、深夜を回るからな。俺の邸で一泊して、明日ドゥヌカ城へ戻るほうがいいだろう」
「それって……、貿易の功績を認められて、国王様から貰ったっていう?」
以前、シルヴェストルよりそのような話を聞いていた。
「なんだ、知っていたのか。あぁ、そうだ。ドゥヌカ城はルパートが継ぐ予定だったからな。俺は俺で自分の領地と住む場所が必要だったから、手に入れた。昨日まで俺が見回っていた領地がある場所なんだが、気候が穏やかでいいところなんだ」
平原を抜けると、山間の道を通ることとなった。そして数時間馬を走らせたところで、一度休憩を挟むことにしたのだ。休憩場所に選んだ場所は小さな泉が湧き出る場所であり、周囲は苔生した岩や蔦で覆い尽くされている。
「アラステアの邸には、あとどれぐらいで到着するの?」
「日が暮れる前には到着すると思う」
アラステアが泉の傍にある木へと馬を繋いでいた。リオノーラはどれぐらいの深さがあるのだろうと泉を覗き込むのだが、自分の顔が水面に映った途端に背後へ逃げてしまう。そうして思い出すのは、先ほどのこと。
「田舎臭い顔……」
「ん? どうした?」
いつの間にか、アラステアが正面へ立っていた。リオノーラは俯いたまま後退する。
「ううん、何もない……」
「何もないってことはないだろ。なんで俯いてるんだ?」
「別に……」
「さっきのことを気にしてるのか? 忘れろ。相手にするだけ無駄だしな」
リオノーラは岩へと腰掛けた。そして、アラステアは何も悪くはないというのに、どういうわけか腹立たしくなってしまう。
「アラステアは、いいわよね。顔がいいから、女性からもてるし、選び放題だし。私みたいなお下がりが結婚相手じゃなければ、想い人と一緒になれたのかもしれないんだし」
アラステアは右手を腰に当てて、やや考え込んだ。
「お前だって、見目はいいだろ」
「同情なんて、しなくていい。田舎臭い顔って、知っているもの」
「それ、本気で言ってるのかよ。さっきの狩りで、お前を見る男連中の視線に気付いていなかったのか? あいつらのお前を見る目といったら、思い出しても腹立たしいというか……」
アラステアと挨拶回りをした時、注目を浴びていたことはわかっていた。
「私の髪の色が変わっているから、好奇心で見ていただけでしょう? いつものことよ」
「……、まぁいいか。勘違いしてくれているほうが変な虫がつきにくくて、俺も助かるし。……いや、自覚がないというのは、それはそれで危険か……?」
「え? 何?」
「なんでもない。お前はそのままでいろ。その方が、俺も安心できる」
一人納得しているアラステア。リオノーラはその姿を見て余計に苛立ってしまう。
「……アラステアが挨拶をしていた時、女性を紹介されたり、囲まれたりしていたでしょう? 本当はまんざらでもない、って思っていたんじゃないの? 私と結婚をしても、外で本命と恋愛をしたいとか、そう思っているんじゃないの?」
思いがけず、きつい口調になってしまった。こんなことを言いたいわけではないのに、とリオノーラはぎゅっと拳を握る。だが、どうしても我慢ができなかったのだ。こんな風に彼へと八つ当たりをしても自らが惨めになるだけであり、彼を傷つけることもわかっている。けれども、どうしようもない劣等感がリオノーラを苛んでしまうだ。アラステアへと恐る恐る顔を向ければ、彼は無言で背を向けて茂みの奥へと入って行くところだった。
「アラステア……?」
不安になって名前を呼んだが、彼から返事はなかった。リオノーラは彼を怒らせてしまった、と頭を垂れて落ち込んでしまう。
――アラステアは、浮気をするような人ではない。
そう思いたいが、リオノーラには自信がないのだ。せめて彼が少しでも好意を見せてくれたならば。
「……これじゃあ私、まるでアラステアに好かれたいと、考えているみたい……」
どうしてアラステアのことが、こんなにも気になるのか。リオノーラが悶々と悩んでいると、地面を踏みしめる足音がした。聞き覚えのある歩き方からアラステアだとわかるが、リオノーラは両目から涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に我慢する。
「リオノーラ。ほら、これ」
彼が何かを差し出した。それは、白が混じった紫色の花。一本の茎より幾つもの小さな花が咲いており、とても愛らしい形をしている。
「ありがとう……」
リオノーラは花を受け取った。まさか彼が花をプレゼントしてくれるとは考えもしなかったため、驚いてしまう。
「リナリア、という花だ」
「お花に詳しいのね? 美人な女性とかにプレゼントをしていたの?」
女性に花を贈る用事でもなければ、男性が花に詳しくなるなど有り得ない。リオノーラはつい拗ねた口調で言って顔を上げるのだが、アラステアの表情は酷く不愉快そうにしていた。
「あのなぁ、いい加減にしろ! 俺はお前のことしかす……」
何かを言いかけた途端、アラステアが自らの左胸を両手で押さえて地面にしゃがみ込んだ。苦しそうにしており、顔には脂汗が浮かんでいる。
「アラステア? どうしたの? アラステア!」
岩から腰を上げてすぐにアラステアの隣へ屈んだ。なぜこんなにも苦しそうにしているのか。何かの病気なのか。リオノーラはおろおろしてしまう。誰かを呼びに行ったほうがいいかと考えるが、こんな人気のない場所を通りかかる人がいるのか。
「だいじょ、うぶ、だ……。どうってこと、ない……」
アラステアが何とか声を絞り出した。リオノーラは首を振る。
「嘘。だって、アラステア、顔色が悪い。平気なはず、ない」
アラステアは笑ったが、なんとも弱気な笑みだった。
「悪い。少し横になって休めば、本当に大丈夫だ」
「じゃ、じゃあ、私の膝を使って。このまま地面に横になるわけにもいかないでしょう?」
アラステアはリオノーラの体へともたれかかった。リオノーラはアラステアの頭を、自分の両脚の上へ寝かせる。
「アラステア……」
どうして急にこんなことになってしまったのか。リオノーラはアラステアの具合が良くなるように、ただひたすら祈った。
一時間後。眠っていたアラステアが目を覚ました。
「アラステア、もういいの?」
「……あぁ」
アラステアは上体を起こした。もう顔色は良くなっており、外見上はどこにも異常はないように見える。
「本当に、もういいの? まだ休んでいたほうがいいんじゃ。邸へ到着したら、薬師に具合を診てもらったほうがいいわ」
声が震えてしまった。またアラステアがあのように倒れるのではないかと、とても怖くなったのだ。
――あんなアラステア、初めてだった。
とても苦しそうにしていたのだ。恐らく、尋常ではない痛みが彼を襲っていた筈。
「もう平気だ。心配かけて悪かったな。少し疲れていただけだ」
「嘘よ。だって……」
「もう大丈夫だって。怖い思いをさせたな」
アラステアは優しく微笑むと、リオノーラの頭をくしゃりと撫でた。リオノーラは安堵から泣いてしまう。
「良かった……。アラステアが無事で、本当に良かった……っ」
彼が眠っている間、とても心配だったのだ。アラステアはそんなリオノーラを抱きしめると、リオノーラの涙へ口付けを落とす。
「泣くなよ、本当に悪かった」
「お願いだから、もう、無理はしないでね……」
神妙な面持ちで、アラステアは頷いた。
「……あぁ。約束する」
アラステアに手を引かれて立ち上がると、二人で馬の所へと向かった。
アラステアが所有しているという邸へ到着したのは、夕暮れだった。王家が使わなくなった別邸を譲ってもらったとのことであり、まるで小さな城のように見える外観は周囲の山々に溶け込んで美しかった。幾つも並ぶ尖塔の屋根は青色であり、蜜色をした壁と相俟って上品さが際立っている。
そんなアラステアの邸へ到着したリオノーラは、普段彼が利用しているという寝室にいた。
「ここでも、私はアラステアの部屋で一緒に寝るのね」
ドゥヌカ城にあるアラステアの部屋とは違い、彼の私物が多く見られた。仕事で利用していると見られる執務机の上には大きな地図が広げられており、オークで作られたショーケースキャビネットには、異国のものと見られる短剣や本、花瓶などが収納されている。
「あれ……? これは」
ショーケースキャビネットに、見覚えのある小物入れがあった。それは、リオノーラが持っている宝石箱とよく酷似した、黒檀でできた宝石箱。リオノーラが持っているものよりも一回り小さく、傷などもない。
――どうしてアラステアが、私が持っている宝石箱と同じデザインのものを持っているのかしら。
首を傾げてみるが、全くもって見当がつかない。
「そこで何をしているんだ? リオノーラ」
背後から声をかけられて、リオノーラは慌てて振り返った。
「ううん。何もしていないわ。……そうだ。セドリックとシルヴェストルは? 無事に到着した?」
「あぁ。途中で馬車が泥濘にはまる不測事態が起きたそうだが、なんとか到着したようだ」
「そう……。良かった」
リオノーラはアラステアにじっと見つめられているのがわかり、彼の視線から逃れようと移動した。だがアラステアによって右手首を掴まれてしまう。
「お前、今何を考えていたんだ?」
「え?」
「ショーケースの箱をずっと見ていただろう。……まさか、またルパートのことを考えていたんじゃないだろうな」
リオノーラは驚愕のあまり立ち竦んだ。
「か、考えてない!」
「本当に?」
鋭い視線で凄まれて、リオノーラは気まずくなった。
「ルパート様からいただいた宝石箱と似ているなぁ、と思っただけで、後ろめたくなるようなことは何も考えていないわ。……あ、もしかして、アラステアもルパート様から私と同じ箱を貰ったの? だから、アラステアも私と同じ宝石箱を持っているの?」
そう質問をすると、アラステアは明らかに不愉快そうに眉根を寄せた。部屋の温度が一気に下がったかのような錯覚がし、リオノーラは背筋が寒くなってしまう。
「自分でも不思議なんだけれどな。お前の口から兄貴の名前を聞くと、無性にその口を塞ぎたくなる」
「え……?」
手を振りほどこうとしたが、彼にしっかりと握られていた。その両目はどこか昏く淀んでおり、だが口元には酷薄な笑みが浮かんでいる。
「あぁ……、塞げばいいのか。そうだな。ルパートの名前なんて言えないように、お前の口を塞いでしまおうか」
アラステアによって体を引き寄せられた刹那。リオノーラは彼によって唇を奪われていた。乱暴な、まるで感情をぶつけてくるかのような口付け。無理やり押し広げられた唇へとアラステアの熱い舌が捩じ込まれ、まるで蹂躙するかのようにリオノーラの咥内を容赦なく弄(まさぐ)った。
「や……っ、……んぅっ」
息さえも奪われてしまうかのような口付けに、リオノーラの思考は溶かされてしまうかのようだった。上顎を何度も擦り付けられるだけで下腹部が痺れてしまい、両足に力を入れて立つのが困難になってしまう。
「お前が名前を呼ぶ相手は、この俺だけでいい」
唇をなぞるように舐められ、甘く吸われた。リオノーラの脳内は痺れ、恍惚とした表情を浮かべてしまう。
「アラステア……」
角度を変えて、口付けを繰り返した。リオノーラは、触れ合うべきではないとわかっていながらも、彼が求める口付けに応じずにはいられない。
――こんなの、ダメなのに……っ。
思わず座り込みそうになるが、アラステアによって腰を支えられているためにそれはできなかった。何とか両手で突っぱねて抵抗しようと試みるものの、上手く力を入れることもできない。
「なんだよ、俺を煽っているのか?」
余計に口付けが深くなった。舌を強引に絡まされ、互いの唾液が混じり合う。くすぐったいような感覚と、淫靡な疼きが体を駆け巡り、リオノーラの呼吸は乱れる。
「……んっ」
体をそっと押され、リオノーラの体は寝台の上へと倒れた。いつの間に移動していたのかわからず、当惑してしまう。
「お前は俺のことだけを考えていればいい」
リオノーラは困惑するあまり、瞳が揺れた。その間にも、アラステアはリオノーラの体の上へと覆いかぶさる。
「どうして、そんなことを言うの? アラステアは、私にどうしてほしいの?」
「お前のするべきことは、俺の妻として俺を愛することだろう?」
「アラステアは私を愛してくれないのに?」
「以前にも言った筈だ。俺に愛を求めるな、と。俺に望むな」
なんて自分勝手な人なのだろう、とリオノーラは心底呆れ果てた。彼は愛を求めるなと言うのに、リオノーラの愛は求めるのだ。しかしながら、アラステアによって額に口付けを落とされ、瞼の上や頬へ口付けを落とされ、更には首筋や胸元にも口付けを落とされると、何もわからなくなってしまう。
「アラステアのことなんて、好きになりたくない……。意地悪だし、嫌いよ」
嫌いだと告げたその言葉は、どこか甘さをはらんだ。アラステアは喉を鳴らして笑いながら、リオノーラの耳朶を食む。
「本気で嫌だったら、俺の頬を叩くなりなんなりして、逃げ出せばいい」
アラステアはリオノーラの指へと自らの指を絡ませて、逃げ出すことを封じるかのように手を繋いだ。逃げ出せばいいと言った傍から、彼はリオノーラを行かすまいとするかのように動きを封じたのだ。
「アラステア……」
アラステアはリオノーラの耳へと顔を寄せた。
「お前は、俺だけを愛すればいい。早く、俺のことを好きになれよ」
熱を孕んだ声に、全身が沸騰するかのような錯覚に陥った。アラステアによって耳朶をしゃぶられ、ねっとりと外耳を舐められる。
「んぅ……っ」
耳孔へと舌を差し込まれて、リオノーラは少し身を捩った。くすぐったさとはまた別の悦楽が、リオノーラの全身を支配していく。彼は自分を愛してくれないというのに、なぜ彼は自分の愛を求めるのか。リオノーラは無性にやるせない気持ちになってしまう。
「リオノーラ、服を脱がせるぞ」
待ちきれないとでも言わんばかりに、アラステアはリオノーラの服を脱がせ始めた。そのまま流されてしまうのが恐ろしくて逃げ腰になってしまうのだが、アラステアはリオノーラの衣服の紐を解くのさえ楽しげに行う。
「どうして、そんなに嬉しそうな顔をしているの?」
アラステアはリオノーラの後頭部に手を回すと、リオノーラの髪を結いあげているリボンを解いた。ぱさりと髪が落ち、淡い光沢を放つ。
「本当だったら昨晩お前と肌を重ねたかったが、昨日は俺も流石に眠たかったからな」
リオノーラは昨夜のことを思い出した。彼はリオノーラを抱きしめるようにし、一人熟睡したのだ。リオノーラとしてはまだ彼とどう話せばいいのか戸惑っていたため、すぐに眠ることはできなかったのだ。
「そんなに、眠かったの?」
アラステアはリオノーラの髪に指を差し込んで、そのまま梳いた。リオノーラは気恥ずかしさで視線を下げてしまう。
「あぁ。領地を見回っている間、なかなか眠れなかったからな。お前の体温が心地よすぎて、それに慣れてしまった。お前の隣じゃないと、安眠できないぐらいに」
そう告げて、アラステアはリオノーラの体に身に着けていたシュミーズを、脱がせてしまった。露わになる両胸。肌は上気して赤くなっており、アラステアの眼下に晒されている。それがとてつもなく恥ずかしく、リオノーラは寝台の反対側へ逃げようとした。だがアラステアの手によって優しく抱きとめられ、寝台の上へ倒されてしまう。
「み、見ないで。恥ずかしい」
「どうしてだ? もっと見せろよ。恥ずかしがっているお前が見たい」
「な」
「俺は今まで、お前がこんな顔をするって知らなかった。お前の怒った顔や泣いた顔は嫌いじゃないが、今日みたいに俺以外の誰かにそんな顔をさせられたのは、辛かった。お前を怒らせるのも泣かせるのも、喜ばせるのも笑わせるのも、俺だけがいい」
そんなこと、できるわけがない。リオノーラは反論しようとしたが、まるで口説かれているような気分になってしまい、そのことについて言い返すことができない。だから、話を変えようとした。
「……っ、あの、ごめんなさい。私の不注意のせいで、あなたがくれた贈り物を壊してしまって」
「別に構わない。また、お前に似合うネックレスを贈るから。俺としては、今日のことでお前が気に病んで落ち込むほうが、耐えられない。……怪我がなくて本当に良かった」
アラステアは、慰めるかのようにリオノーラの額へ口付けを落とした。更に鼻先、頬、顎、そして首筋へと口付けを丁寧に落としていく。
「アラステア……」
アラステアの口付けは胸元にも落とされ、その頂にも落とされた。そっと唇で頂を食み、更には味わうかのように舐め始める。リオノーラはびりびりと背中に甘い痺れが走るのを感じて、身を捩ろうとした。だがそれはアラステアの手によって制され、脇腹を撫でられてしまう。
――なに……、ぞくってする。
アラステアはリオノーラの胸の頂を、唇で扱いていた。ゆるゆると乳首を通して乳房が揺れ、それがなんとも言えない快感となる。
「っ、いや……っ、やめて……っ」
まるで強請るかのように、甘い声で懇願してしまった。アラステアが笑う気配が肌を通して伝わってくる。
「お前に触れたかったのに、ずっと我慢を強いられてたんだ。やめてやらない」
リオノーラの胸を両手で大胆に揉み上げ始めるアラステア。乳房はアラステアの指の間で形を変え、なんとも卑猥な姿を晒す。
「……っ、だ、め」
胸を揉まれているだけ。ただそれだけなのに、リオノーラははっきりと股の間が潤むのを感じてしまった。彼に触れられて悦ぶかのように、体が反応をしているのだ。理性を保とうと首を振るが、アラステアはリオノーラの反応を窺うかのように、胸を揉む強さを変える。
「どうして駄目なんだ? ぅん?」
その理由を答えられるわけもなく、リオノーラは羞恥心でいっぱいになった。アラステアは喉を鳴らして笑いながら、リオノーラの胸に吸い付く。それがなんとも言えぬ感覚をもたらし、リオノーラは両膝を擦り合わせた。
「……や……、んぅっ」
「もっと乱れればいい。その姿を見ていいのは、俺だけだ」
強く肌に吸い付き、リオノーラの肌へと鬱血の痕を残していった。まるで花びらが落ちたかのように、赤い痕がつけられていく。鎖骨や、胸元、そして腹部。
「どうして、こんなことをするの?」
恥ずかしくて、自らの肌を見ることが躊躇われた。アラステアはおかしそうに笑う。
「お前は俺のものだっていう、所有の印をつけているだけだ。誰にも渡さない」
リオノーラの頬が一気に熱くなった。
「だ、誰にも渡さないって……」
まるで独占欲のようだった。少しでも彼に想われているのではないのかと、勘違いをしてしまいそうになる。
「絶対に浮気するなよ。まぁ、させるつもりもないが」
アラステアの片手が、リオノーラの足の間を撫でた。ぞくぞくとしたものがこみ上げ、リオノーラは瞬間的に彼の手を掴んでしまう。
「あ、あの……」
足の間が濡れていることを彼に知られるのが、酷く怖かった。だが彼の手を掴んだものの、何を言えばいいのかわからない。
「そんな怯えた顔をしなくていい」
するり、とリオノーラの手から、アラステアは自身の手を抜いた。そして安心させるかのようにリオノーラの唇へと口付けをする。
「ん……ぅ」
まるで気持ちを宥めるかのように、繰り返される甘く官能的な口付け。いつの間にかアラステアはリオノーラの両足の間へと体を割り込ませており、互いの唇を重ね合わせながらもリオノーラの大切な部分へと指を滑り込ませる。これを感じ取ったリオノーラは、びくりと体を震わせた。濡れていることを知った彼がまた、それについて言うのではないのかと思ったからだ。恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだったが、リオノーラの不安に反してアラステアは何も言わなかった。潤っていることを、彼が気づかないわけがないというのに。むしろ、それを知って火がついたように口付けが増した。それが少し苦しくて、思わずアラステアの背中へと手を回し、衣服を握りしめてしまう。
「あぁ、苦しかったか?」
唇を離したと同時に、アラステアはリオノーラの頬を撫でた。リオノーラは恍惚とした表情で、ふるふると首を振る。
「だ、大丈夫……」
空気に掻き消えるかのような声で告げると、アラステアは顔を顰めた。
「くそ……。なんでそんな顔をしているんだよ。こっちが余裕なくなるだろ」
足の間に割り込まれている指が動き始めた。リオノーラは目を見開いて足を閉じようとするが、彼の体が間にあるためにできない。
「そこ、……っ。触らないで……」
花弁が指で割り広げられた。秘された部分が空気に触れただけで、ひくつくのがわかった。
「俺が触りたいんだ。いいから、じっとしていろ」
指で花弁をなぞられた。それだけで泣きそうなほどの何かがこみあげてきてしまう。だというのに、彼は更にその奥にある柔襞を指の腹で触れ、下から上へと何度も擦るのだ。リオノーラの呼吸は乱れ、シーツを両手で握りしめずにはいられない。
――これは、何なの。どうして私、こんなにも感じてしまうの……?
蜜口は驚くほど濡れそぼっており、アラステアはその蜜を指で掬っては秘部へと擦り付ける。そうして、その指はリオノーラの敏感な場所である花芽へと触れた。
「ひゃぁ……っ!」
突如として齎された快感に、リオノーラは思わず嬌声を上げてしまった。あまりにも恥ずかしくてすぐにでも逃げ出したいが、アラステアに腰を掴まれているために動くことができなかった。花芽へと触れるアラステアの指には、力など加わっていない。優しく下から撫で上げて、ゆっくりと指の腹で捏ねるだけ。それだけだというのに、リオノーラの意識は乱れてしまう。
「すごくそそられる。もっと、虐めたくなる」
何てことを言うのか、と彼を睨(ね)めつけようとしたが、花芽をやや強めに押されてぐりぐりと触れられた。
「や……っ、いや、ぁああっ、ん……っう、ぁん……っ」
一体どこから出ているのかわからない、甘ったるい声が漏れた。それほどまでに、恐ろしいほどの淫猥な快楽がもたらされ、リオノーラは何もできなくなってしまう。呼吸をしようとする度に喘いでしまい、与えられる快楽に抗うことができない。だというのに、アラステアはリオノーラの胸に顔を下げ、舌先で舐めあげた。胸の先端を咥内へ含み、舌先でクニクニと転がす。
「もっと、俺を感じたらいい。俺だけを感じろ」
潤いに満ちた蜜口へと、アラステアの指が滑り落ちた。そこへ指を一本、ゆっくりと押し入れていく。閉じていた膣洞を押し広げられていくのがわかり、リオノーラはびくりと体を震わせてしまう。
「っぁ、入れないで……っ」
「それは無理だ」
膣内(なか)で彼が指を動かすのがわかった。指で蜜壁をほぐすように掻き回される。そうして徐々に強張りが解けてきたのか、今度は二本の指を挿(い)れてぐちゅぐちゅと蜜壁に圧力を加える。
「ふあ……っ、ぁああ、んぅ……ん」
泣きたいほどの悦楽に、リオノーラは陶然とした。
――アラステアの指が動く度に、頭の中が真っ白になる。
それほどまでに強烈な感覚だった。アラステアによって弄(なぶ)られている胸は、彼の唾液で濡れ光っている。だが、決して嫌悪感はない。むしろ、どういうわけか愛しさと切なさが込み上げてしまう。
「そろそろ、お前の中へ入りたい。構わないか?」
リオノーラの髪を一房持ち上げて、その毛先に口付けを落とすアラステア。まるで甘えるかのような視線を向けられ、リオノーラの心臓が大きく打った。
「えっと……、その……」
どういうわけか、リオノーラは断る言葉が思いつかなかった。それどころか、寧ろ彼を受け入れたいという気持ちなのだ。しかしながら、それを口にしてしまうことができなかった。まだお互い結婚をしていない上に、本来ならばこのような行為はしてはいけないことなのだ。更には女性として当然あるべき恥じらいの気持ちが強まり、リオノーラは何も喋れなくなってしまう。
「否定されないってことは、その無言は了承と受け取っていいんだな」
反射的に違うと言いそうになった。だがアラステアの嬉しそうな顔を目の当たりにして、リオノーラは悔しくなってしまう。
――ずるい。どうしてそんな風に笑うの。どうしてそんなに喜ぶの!
彼のためならば何でもしてあげたくなってしまうような、そんな笑顔だった。アラステアは服を脱ぐと、リオノーラの足の間へと下半身を埋める。
「挿れるぞ」
足を少し広げられた後に、蜜口へとアラステアの雄芯の先端が当たるのを感じた。既に一度挿れられているが、以前はただただ苦痛だったことしかあまり覚えていない。そうしてリオノーラの心の準備ができていない内に、体の中へと異物が押し込められてくるのを感じた。濡れ襞の合間の更に奥。弾力のある蜜壁を、熱い杭が侵入をしていくのだ。この瞬間、リオノーラは微かに慄いた。自らの胎内へと入ってくる、彼自身のモノ。
「や、ぁあっ!」
涙が目に浮かんだ。以前とは違い、彼が侵入(はい)ってきただけで膣道が蠕動する。
「……っく、お前の中、熱いな」
アラステアを見上げれば、嬉々として笑っていた。それは幼い頃に見た、どこか意地悪さを含んだ笑みにも似ている。
「アラ、ステア……っ、なんだか、おかしい。頭がふわってなる……」
「へぇ……」
彼は、今度ははっきりと意地の悪さが露骨にわかる笑みを浮かべた。リオノーラは委縮してしまうが、アラステアによって腰をしっかりと掴まれてしまう。そのまま、中をゆっくりと穿たれ始めた。ぐっしょりと濡れた内部はアラステアの熱杭をすんなりと受け入れ、そして抽挿を助ける。
「あ、っ、……んぅ、やっ、は……」
ぐちゅりと彼の物が捩じ込まれるほどに、膣口から白くなった蜜が零れ落ちた。
――前と、違う。
それがはっきりとわかった。甘痒い苦しさが全身を支配し、呼吸をしようとする度に喘ぎ声をもらさずにはいられなかった。
「あぁ、感じているんだな。お前なんか、そのまま、俺だけを感じていればいいんだ……っ」
緩慢だった動作は次第に力強く、そして速くなった。膣洞が擦りあげられる度に、下半身が強烈な熱を孕んでいく。最奥を打たれるほどに頭の中は痺れていき、どうしようもないほどに彼との行為しか考えられなくなっていく。
「ふ……、ぁあっ、ん……、ぁっ!」
こんなこと、許される筈がない。彼とは、夫婦ではないのだ。しかしながらそんな背徳感さえも、より感度を高めあげる要因となってしまう。
――奥が当たってる……っ。そんなに突かれると、私……っ。
熟し切った果実のように、蜜壁が充血していく。彼の屹立を貪欲に飲み込もうとするかのように。ぎしぎしと寝台が揺れる音や室内に響く水音がとても猥らに聞こえ、耳を塞ぎたくなってしまう。
「もっと集中しろよ」
アラステアによって、膣内(なか)を掻き回さた。そのままリオノーラの右足を持ち上げると、アラステアは自らの肩へ掛ける。そのままより一層深く繋がろうと、リオノーラへ覆いかぶさった。
「アラステア……っ」
涙声のようになってしまった。アラステアはやはり楽しげに頬を緩めている。
「そんな顔をするな。興奮するだろ」
リオノーラは自らが扇情的な嬌態を晒しているとは知らず、アラステアの感情をより一層昂ぶらせてしまった。先ほどよりも深く内部を打たれ、リオノーラは頤を上げて悲鳴にも似た声を上げてしまう。
「ぁあっ! ふっ、やぁあっ……、んぅ」
涙が目尻より零れ落ちた。喘ぎ声を出すことしかできず、リオノーラはただただ彼を受け入れる。そうして彼によって与えられる壮絶な快楽に身を委ね、一際大きく突き上げられた瞬間に膣内が収縮するのを感じた。頭の中が真っ白な光に覆い尽くされ、ぐったりと寝台へと身を預けようとする。
「あぁ……、達したんだな。でも、まだ休ませてやれない」
その言葉通り、アラステアはまだリオノーラの体を突き上げていた。何度も何度もリオノーラの奥を押し上げ、休むことを許されない。
「うぁああっ、んぅ、もう、ゆるし、て……っ、んく……っ」
わけがわからなくなっていた。一度達した内部はこれまで以上に敏感になっており、彼の大きなモノで擦られるだけでも耐えがたい淫楽を与えてくる。だというのに、その上奥まで幾度も彼の屹立で叩かれては、まるで拷問のようだった。
「ほら、もう一度達しろよ……!」
その言葉に抗えず、リオノーラの体は再び達してしまった。それとほぼ同時に、アラステアの灼熱の滾りがリオノーラの胎内へと放出される。
「……っ」
やっと休ませてもらえるという解放感とともに、何とも言えない心地よさで満たされていた。アラステアも呼吸を整え、肩へ持ち上げていたリオノーラの足を下ろす。そうして、リオノーラの左手を持ち上げると、その指先へ口付けを落とした。
「この気持ちを、お前に伝えられたらいいのに」
どこか切なげな色を滲ませた声が耳に届いた。アラステアを見れば、まるで泣き笑いのような顔をしている。
――アラステア……。どうしてそんな顔をしているの。泣かないで。
何故かはわからないが、彼を守ってあげたいという強い気持ちを抱いた。もしも彼が悩みを抱えているならば、聞いてあげたいと。
しかしながら、リオノーラの体力は限界だった。強烈な眠気に見舞われてしまったのだ。
――アラステア。私は、あなたのことがもっと知りたいわ。
意識が闇へと完全に閉ざされる前、リオノーラはそう思った。
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