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​傲慢な婚約者と優しい嘘

 シルヴェストルから重大な真実を教わった翌日。

 リオノーラはグレンヴァース領で最大の街、ローンブルクへ訪れていた。ローンブルクの特色は、殆どの建物に赤い瓦屋根が使用されていること。地面は石畳で舗装されており、街全体の整備が行き届いている。大通りに面した市場は有名であり、様々な場所から仕入れた珍しい品物が並んでいた。

「とても賑わっているわね」

 リオノーラはたった一人で市場を散策しながら、感心していた。見るもの全てが新鮮であり、自然と心が弾んでしまう。

 街へはシルヴェストルも一緒に馬車で来たのだが、現在は別行動中だった。その理由は、シルヴェストルがルパートの恋人であるコリーンに買い物を頼まれたからだ。現在コリーンは侍女という立場でありながら、ルパートの妻であるかのように振る舞い、横暴が行き過ぎているようだった。つい先日も衣服の汚れがきちんと落ちていないと洗濯室を預かる侍女達へ言いがかりをつけ、反感を買っていたのだ。他にもシルヴェストルから話を聞かされるのだが、ドゥヌカ城で暮らす者達はルパートが恐ろしく、不満があっても言えないとのこと。

 ――私も、意見することさえできないんだもの。

 本来ならば、今日はシルヴェストルと一緒に街を歩く予定だった。だが出かける寸前にコリーンがやってきて、今すぐでなくとも全く差支えのない用事をシルヴェストルへ言いつけたのだ。リオノーラには、それがすぐにコリーンの嫌がらせなのだとわかった。いくらコリーンとて、リオノーラに対してお遣いを頼むことなどできない。だから、リオノーラと一番仲のいいシルヴェストルへ言ったのだ。しかも、たった一日で全ての店を回って買うことなど到底できない量を。

 当然リオノーラとしては責任を感じ、シルヴェストルの買い物に付き合うと言った。手分けして二人で回ったほうがいい、と。だがシルヴェストルは笑顔で『一人のほうが速いので』と、瞬く間にリオノーラを置いて行ってしまった。リオノーラとしてはやや呆気にとられる展開だったものの、シルヴェストルを信じて任せることにしたのだ。

「そうだ。何かおいしそうな果物かお菓子を買って、後でシルヴェストルと一緒に食べよう。それから、最近お世話になっている皆にもお土産を……」

 ドゥヌカ城へ来たばかりの頃、リオノーラは侍女や執事達とはあまり親しくなかったのだ。けれどもルパートやコリーンのことで、今ではすっかりリオノーラへと同情的だった。リオノーラとしては複雑な気持ちではあったが、仲違いするよりは仲良くしていきたいと考えている。

「あれは……」

 アーモンドを糖衣で包んだお菓子が売られていた。食後のデザートで食べることもあり、一般的なお菓子の一つ。リオノーラはそれを購入すると、一旦馬車を待たせている所まで戻った。

「シルヴェストルは戻ってきた?」

 年配の御者へ問いかけると、御者『まだ戻ってきていません』と首を振った。想像通りの答えに、リオノーラは落ち込む。ローンブルクという街のことを詳しく知っているわけではないが、かなりの広さがあるように見えた。やはりシルヴェストルに断られてでも手伝うべきだった、と今更ながら悔やんでしまう。

 ――せっかくシルヴェストルが塞ぎ込んでいた私に息抜きをさせようと、誘ってくれたのに。

 余計な苦労をシルヴェストルにかけてしまい、心が沈んでしまう。リオノーラはひとまず購入したアーモンドを馬車の中へと預けると、空を見上げた。雲行きが怪しく、今にも降り出しそうな天気となっている。

「私、シルヴェストルを探してくるわね」

 御者へそう伝え、リオノーラは馬車の傍を離れて大通りに進んだ。シルヴェストルがいそうな店へと入ってみるが、それらしき女性は来ていない、またはさっきまではいた、と店の者から言われてしまう。

「どこかですれ違ったかしら……」

 リオノーラが道に停止して辺りを見回していると、背後から十歳前後の子供達が五人ほど走ってきた。リオノーラは避けようとするが、子供達は左右に分かれてリオノーラの脇を通り抜けていく。その途中、一人の少年とリオノーラの体が接触した。リオノーラは勢いで弾き飛ばされ、地面に転ぶ。

「あ、おねーさん、ごめんね!」

 背後に振り返りつつ、少年は謝って仲間と一緒に駆けていった。リオノーラはあまりに無邪気で元気な子供達の姿に、幼い頃のアラステアの姿と重ねてしまう。

「アラステア……、今どこにいるの……?」

 彼に会えない寂しさと不安で、仕方がなかった。彼のいない寝台はとても広く、冷たく感じるのだ。それとともに、時間が経つほどに彼への想いが募っていく。

 リオノーラが地面へ座り込んでいると、首筋に冷たい何かが当たるのを感じた。

「……雨?」

 空からぽつりぽつりと雨が降り出した。地面に円形のシミを作り、濡らしていく。すぐに立ち上がって馬車の所まで戻らなければ濡れてしまうというのに、動こうという気持ちになれない。

「せめてどこにいるのかぐらい、知ることができればいいのに……」

 彼は無事なのだろうか。風邪をひいて体調を崩してはいないだろうか。

 ――ちゃんと、眠れているかしら……。

 雨足が強くなってきた。往来する人々は突然降ってきた雨を避けようと、雨宿りができる場所を探して走っている。

「私も、行かないと」

 のろのろとした動作で腰を上げて、立ち上がった。同時にゆっくりと顔を上げようとするのだが、その前に背後から頭上へと何かが被さる。

 ――え?

 布らしきものがかけられたために、視界の上半分が覆われた。前が見えず、驚いたリオノーラは大きな布を取ろうとする。だがその瞬前、リオノーラは誰かに右手を握られた。とても力強い手であり、女性とは違う骨の太さから男性だとわかる。リオノーラはその手に引っ張られる形で、走りだした。

「ちょ……っ」

 取り乱しそうになるのをかろうじて堪えた。限られた視界の中で、リオノーラは落ち着いて自らの手を握っている相手の手を見る。そこで、息を呑んだ。というのも、相手の手にとても特徴的な傷があったからだ。リオノーラが知る限り、そんな傷を持つ人物は世界でたった一人しか知らない。

 ――アラステア……!

 涙で視界が潤み、声が出なかった。彼だとわかっただけで、嬉しさのあまり心がいっぱいになってしまう。

 どうしてここにいるのか、今までどこに行っていたのか。

 彼にたくさん謝りたいことやお礼を言いたいことがあるのに、肝心の言葉が出てこない。

「……っ」

 喋ることができない代わりに、リオノーラは彼の手を強く握り返した。彼の手はとても熱く、今目の前にいるのだとはっきりとわかる。そうして彼をもっとよく見ようと顔を上げるのだが、彼が着ている白いシャツがびしょ濡れになっており、肌が透けて見えた。

 ――あれ? アラステア、上着は……。

 そこでリオノーラは、自分の頭にかぶさっているのがアラステアの上着だと気付いた。彼はリオノーラが濡れないように、自らの上着を脱いでリオノーラへ被せたのだ。

 ――アラステアにこんなに優しくしてもらう価値なんて、私にはないのに。

 アラステアは水溜りができた道を避けるように走り、角を曲がった。そして真っ直ぐに進んだ所で停止する。そこは、リオノーラがシルヴェストルと一緒に乗ってきた馬車。

「乗れ、リオノーラ」

 アラステアが馬車の扉を開いて、リオノーラを乗せた。リオノーラはてっきり彼も馬車へ乗り込んでくるものだと振り返るが、彼は扉を閉めようとする。

「ま、待って、アラステア!」

 咄嗟に扉を閉められるのを阻止した。久方ぶりに見る、アラステアの顔。目の下にクマができており、少しやつれた印象を受けた。雨のせいで髪の毛先からは水滴が落ち、全身が濡れている。

「リオノーラ、大人しく城へ戻れ。護衛もつけずに一人でうろうろするなんて、何を考えているんだ! 何かあったらどうするんだっ。いくらローンブルクの治安がいいといっても、万が一ということもあるんだぞ!」

「今は私のことなんてどうだっていい! アラステア、お願いだから早く馬車の中に入って! 濡れてしまうわ!」

 無我夢中で彼の手を掴んだ。両手で掴み直し、馬車の中へと引きずり込む。すると、アラステアは前髪を掻き上げて、腹立たしそうに舌打ちをした。

「お前は女なんだぞ! もうちょっと自分のことを大事にしろっ! あんな場所に座り込んで、風邪でもひいたらどうするつもりだ!」

 強い口調で怒鳴られて、リオノーラは怯んだ。

「どうして、怒るの? 私はアラステアに会えなくて、ずっとずっと寂しくて、悲しくて……」

 こんなことが言いたいわけではない。しかしながらアラステアに問答無用に怒鳴りつけられて、頭の中が真っ白になってしまったのだ。

 ――ダメだ。泣いてしまう……。

 彼に泣き顔を見られたくなくて、頭から被さっている彼の服を、更に深く被ろうとした。だがその手は阻まれ、アラステアの両手で頬を包まれる。そのまま、顔を上に持ち上げられた。

「……泣くな。悪かった。お前が不用心すぎるから、心配のあまり頭に血が上ったんだ」

「アラステア……」

「頼むから、俺の心臓に悪いことはしないでくれ。さっきだってふらふらお前が一人で出歩いているから、驚いて後ろから見守っていれば、転ぶし……」

 アラステアの声が萎(しぼ)んだ。リオノーラの不注意で転んだというのに、彼はまるで自分のせいだと受け止めている様子。

「ずっと、私を見ていたの? だったら、声をかけてくれればよかったのに」

 アラステアは気まずそうに視線を逸らした。

「……やらなければいけない用事が済んだから、今日こっちへ戻ってきたんだ。お前を見つけたのは偶然だし、お前が一人でなければ尾行だってしなかった」

「そうなの?」

「あぁ。……俺はまだ兄貴と話をつけていないし、お前と合わせる顔がないから声をかけるつもりはなかったんだ」

 リオノーラは自然と頬が緩んで笑った。

「じゃあ、私が一人で歩いていたからアラステアに会えたのね。一人で歩いて良かったわ」

「本気で怒るぞ。今回はたまたま俺がお前を見つけたからよかったが、二度と一人でうろつくな」

 アラステアはリオノーラの頬を軽くつねった。リオノーラは慌てて反省している素振りを見せる。そうして考えるのは、彼が語った『やらなければいけない用事』のこと。その用事とはどういうものなのか。リオノーラは訊きたいのに、彼が何故か悲しい顔をしているから質問することができない。

 ――私も、この前のことをアラステアに謝らないといけないのに。

 リオノーラが口を開きかけたとき、アラステアの視線とぶつかった。彼はじっとリオノーラを見つめているのだ。曇りのない、澄んだ灰青の瞳。それが、リオノーラを捉えている。

 ――とても綺麗な目。

 そのまま、まるでそうするのが当然のように、お互い顔を近づけて唇を重ねた。はじめはただ触れ合うだけで、存在を確かめ合うように繰り返す。だが次第に熱を帯びてくると、口付けは深いものへと変わっていく。

「リオノーラ……」

 アラステアはリオノーラへ口付けをしながら、リオノーラの耳を片手で擽った。耳の裏を指でなぞり、そのまま耳朶をそっとつまむ。

「ん……っ」

 耳に触れられるとくすぐったさに似た奇妙な感覚がするため、苦手だった。だがアラステアはリオノーラの耳が気に入っているらしく、よく触れるのだ。

 ――アラステアと、もっと触れたい。離れたくない。

 リオノーラが彼の温もりを求めようと、アラステアの背中へ手を回そうとした。だが、唐突にアラステアが距離を取る。

「……さっさと城へ戻って、服を着替えろ。体が冷えてる」

 そう告げて、今度こそアラステアは馬車の外へ飛び出してしまった。リオノーラは彼を引き留めようと手を伸ばしたが、届かない。

「アラステア!」

 激しい雨の中、アラステアは路地裏に曲がってどこかに消えてしまった。彼がいたことを証明するのは、リオノーラの体にかけられた彼の上着。

 ――どうして、行ってしまったの。

 彼は迎えに来ると、言っていた。けれども、まだその時期ではないのだろうか。

 リオノーラが落胆していると、馬車の扉が開かれた。リオノーラは、アラステアが戻ってきたのだろうか、と期待に胸を膨らませる。

「遅くなってしまい、申し訳ありません」

 両腕いっぱいに大きな籠を抱えたシルヴェストルが、馬車へと入ってきた。リオノーラはすぐに体を拭くものはないか探すのだが、不可思議なことにシルヴェストルの体は全く濡れていない。

「お、おかえりなさい、シルヴェストル。目的のものは見つかった?」

 リオノーラはそっと馬車の窓から外を見るが、雨は止んではいない。

「はい。きちんと全て手に入れることができました。さぁ、戻りましょうか」

「……えぇ、そうね」

 リオノーラはアラステアの上着を畳んだ。シルヴェストルはそれを眺めるが、何も訊ねない。

「凄い雨ですね」

「うん」

「……アラステア様は必ず、リオノーラ様を迎えに来ますよ。大丈夫です」

 リオノーラは、今この場所にシルヴェストルがいてくれることを感謝した。それとともに、アラステアが先ほど触れた耳へ、自分の手を重ねる。

 ――命を懸けてくれたアラステアに、私はどうすれば応えることができるんだろう。

 城へ戻る馬車の中、リオノーラは真剣に考えた。

 

 

 その日の夜、リオノーラの元へと一通の手紙が届いた。リオノーラの父親である、アーマンドからだ。だが手紙を目にしたリオノーラの顔に驚きはなく、寧ろ強張っていた。

「お父様からのお返事がついにきた……」

 現状を憂い、リオノーラは自らの父親へと手紙で相談していたのだ。勿論正直に全てを話すのではなく、ただ端的にルパートが城へ戻ってきたことのみを伝えた。

 リオノーラが父親へ訊ねたいことはただ一点。

 自分は『誰』と結婚をすればいいのか。

 リオノーラは不安に思いながらも、手を震わせながら手紙の中を確認をした。父の字はまるでお手本のように整然としており、読みやすい。

『お前自身は誰と一番結婚がしたいのか、自らの心に問いかけて決めなさい。きっと答えはもうわかっているはずだ』

 とても簡潔な内容だった。手紙には、ルパートと結婚をしなさい、とも、アラステアと結婚をしなさい、とも一切書かれてはいない。けれども、父の言いたいことがわかってしまった。

 ――お父様は、私の気持ちを見抜いているのね。

 もしもルパートと結婚をしなければいけないのであれば、そう手紙に書くはず。だが書かれていなかった。父の伯爵家の立場からでは、アラステアと結婚するようにとは書けないのだろう。

「私は、親不孝者だわ……」

 リオノーラは手紙を大切に抱きしめながら、ルパートと相対する覚悟を決めた。

 

 

 翌日も、雨が降り続いていた。昨夜よりも雨量が増え、その様子は嵐と表現したとしても過言ではない。城の屋根や窓を叩きつける雨粒の音が凄まじく、少し耳が痛くなるほど。まだ昼前だというのに夜のように暗く、蝋燭の灯りなしでは室内を見渡すことができない。

 ――まるで、天がこれからの話し合いを予見しているみたいね。

 リオノーラの背に自然と力が入った。現在いる場所はアラステアの部屋。彼がドゥヌカ城を出てからも、リオノーラはずっとアラステアの部屋で彼を待ち続けているのだ。

「一昨日までとても暑かったのに、今日は少し冷えますね」

 シルヴェストルがリオノーラへ声をかけた。リオノーラはシルヴェストルへと振り返る。

「そうね」

 いつもは半袖のドレスで過ごすリオノーラも、長袖のドレスを着用していた。

「膝掛けをお持ちしましょうか。温かい飲み物もご用意します」

 シルヴェストルが扉へ向かうのを、リオノーラは止めた。

「待って、シルヴェストル」

「どうかしましたか?」

「私、あなたの立場を悪くしてしまうかもしれない」

 シルヴェストルはすぐにその意味を察し、神妙な面持ちでリオノーラの言葉に頷いた。

「ルパート様と話をされるのですね」

「えぇ。……最悪、あなたはこの城を追い出されてしまうかもしれない。もしもそうなったら、私と一緒に来ない? 私が故郷へ帰ることになった場合、あなたについて来て欲しいの」

 罪滅ぼしという気持ちもあったかもしれない。だがそれ以上に、彼女を友人だと思っているのだ。彼女がいなければ、リオノーラは生きていなかった。彼女がいなければ、リオノーラはこの城でたった一人きりだったのだ。

「リオノーラ様。私の心配はなさらないでください。きっと大丈夫ですから」

「シルヴェストル……」

「でも、そうですね。私もリオノーラ様のことが大好きですから、もしも故郷へ戻られるような結果になった場合は、お供をさせてください」

「ありがとう、シルヴェストル」

 リオノーラはシルヴェストルに駆け寄ると、彼女へ抱きついた。

「リオノーラ様。私は何があっても、リオノーラ様の味方です」

 リオノーラは頷くと、シルヴェストルから離れた。彼女からはいつもたくさんの励ましと元気をもらっている。

「シルヴェストル。私、行ってくるわね」

「はい」

 リオノーラはシルヴェストルに見守られながら部屋を出た。

 

 

 リオノーラが人気の無い廊下を歩きながら考えるのは、アラステアのことだった。

 彼は魔女に呪いをかけられ、愛する人へ愛を告げることができなくなってしまったのだ。手紙に想いを綴ることもできない彼は、ある方法で気持ちを伝えようとした。それは、花言葉。

 リオノーラは、セドリックが言っていたことを思い出した。

『花言葉を知っていれば、手紙の代わりにもなります。大抵の庶民は文字なんて読み書きできませんが、花言葉の意味さえ知っていれば、文字を書けなくても、文字が読めなくても、互いに感情を伝え合うことができます。……アラステア様はリオノーラ様へ不器用な態度しか示せないようですが、リオノーラ様へはきちんとご自分の気持ちをお伝えしていますよ』

 本当の気持ちを声に出すことはできない。手紙に書くこともできない。だからアラステアは花言葉という方法を用いたのだ。

 リオノーラはアラステアと離れている間、マートルのことを調べた。マートルの花言葉は愛の囁き。

 彼は自分なりの方法で、リオノーラへと想いを伝えていた。

 ――私もアラステアに応えなければならない。

 リオノーラは深呼吸を一度すると、ルパートの部屋の前に立った。

 ――アラステアは絶対に迎えに来てくれる。だから私も、今自分にできることする。

 そう心の中で決断し、扉をノックした。

「ルパート様。リオノーラです。大事なお話をしたいのですが、よろしいでしょうか」

 少しの間を置いて、扉の向こう側から返事がした。

「構わないよ。どうぞ」

 抑揚のない、どこか面倒そうな声だった。歓迎されていないとすぐにわかったが、ここで逃げ出すわけにはいかない。リオノーラは気を引き締める。

「……失礼します」

 ドアノブに手をかけて、扉を開いた。途端、何らかの薬のニオイが鼻をついた。

 ――傷薬のニオイかしら。

 どこか陰鬱な気配が漂う室内へ足を踏み入れ、リオノーラは背後の扉を閉めた。そして視線を彷徨わせてルパートの姿を探すのだが、彼はテーブルにもたれかかるようにして立っていた。

「珍しいね、君が私の部屋へ訪れるなんて」

 彼の部屋へ訪れるのは、彼から結婚について聞くに堪えない説明を受けた日以来だった。

「どこかお体の具合でも悪いのですか?」

 社交辞令で問いかけてみた。

「……あぁ、少しね。こんな雨の日は、古傷が痛むんだ」

 リオノーラは眉を潜めた。彼の姿勢から背中に傷があるのだろうか、と思うが、どうしてそんな場所に傷があるのか想像がつかない。

「そうなんですか……」

「あぁ。だから話は手短にお願いするよ」

 にこりと微笑んだその表情は、冷ややかなものだった。

 ――アラステアが炎だとしたら、ルパート様は氷のよう……。

 それほどまでに、二人の兄弟の印象は大きく異なっていた。

「では、お話をさせていただきます。……ルパート様との婚約を解消させていただきます」

 自らを奮い立たせる意味もこめて、リオノーラははっきりとそう言った。ルパートは何を言われたのかわからないとばかりに、困惑をしている。

「私との婚約を解消? 何を言って……。そんなことをすればどうなるのかわかっているのか。君の家はただでは済まないんだぞ」

 リオノーラの家であるフレイドル家は、グレンヴァース家と協力関係にある。だがグレンヴァース家の協力が望めないとなれば、当然火を見るも明らかな結果になるだろう。

「そうでしょうね。でも、たとえそうだとしても私はあなたと結婚はできません」

 リオノーラの家が扱う錫は、とても貴重なものだ。たとえグレンヴァース家との関係が潰えたとしても、別の方法を考えればいいだけのこと。それは決して平坦な道ではないだろうが、たとえそうだとしても一縷の望みにかけることにしたのだ。

「正気じゃない。……アラステアとの関係を暴露してもいいんだぞ。私が一言この屋敷の者に命じれば、君とアラステアがただならぬ関係にあった、と証言させることもできる。そうなれば、君の立場はまずいことになるだろう」

 それは、これからリオノーラが生きていく上で破滅を示唆していた。通常、独身の女性が男性と関係を持ったという偽りの噂が広まるだけでも、その女性は生涯結婚できなくなる可能性があるのだ。だというのに、証人がいるとなればリオノーラは誰からも相手をされなくどころか、貴族社会から追いやられることもあり得る。

「かまいません。私とアラステアの間には真実の愛があると思っていますから。私には何も恥ずべきことはありません」

 自分がアラステアに対して何ができるのか、リオノーラはずっと考えていた。彼は命を賭してまで、守ってくれたのだ。

 リオノーラは、ルパートと望まぬ結婚をしてアラステアを守ることも考えた。だがそれは逆にアラステアに対する裏切りではないのか。

 ――アラステアは、必ず迎えに来るから信じて待っていろって言っていた。

 リオノーラはもう、アラステアを疑わない。彼が信じろと言ったから、信じるのだ。

 だから、リオノーラはアラステアは絶対に自分を迎えにくると信じている。

「君はアラステア一人のために、全てを捨てるつもりか」

 そんなつもりはない、とは言えなかった。リオノーラは全てを諦めるつもりはなく、抗うつもりでいる。だがもしもアラステアのために全てを捨てる必要があるならば、そのときは投げ打つ覚悟があるのだ。たとえ結果的にアラステアを悲しませることになろうとも。

「私の勝手な一存で周りを苦しむことは望みません。でも、もしも私の命でアラステアが救われることがあるのならば、いつだってこの命は惜しくありません」

 アラステアが自らの命と引き換えに守ってくれようとしたように、リオノーラもまたアラステアを守りたかった。

「どうかしている」

「それを、あなたが言うんですか。コリーンと駆け落ちまでしたのに」

「本気だったわけではない。そういう姿勢を見せれば、父の態度も軟化するのではないかと思ったんだ。私の将来を案じてコリーンを追い出そうとしなければ、私だってあんな芝居は打たなかった」

 駆け落ちは芝居だった。

 それを知ったリオノーラは、一瞬黙り込んでしまった。

 彼は最初から、リオノーラと結婚をしてもコリーンをずっと傍に置いておくつもりだったのだ。

 ――私、本当にバカみたい……。

 幼いころよりずっと、ルパートの妻となるべく教育を受けてきたのだ。ルパートのことはよく知らなかったが、結婚をすれば少しずつ親しくなっていけると考えていた。リオノーラの両親も政略結婚であり、お互い殆ど知らない状態で夫婦になったのだ。だから、いずれ自分もそうなれればと思っていたのだ。だがアラステアに目隠しをされた日からルパートに疑いを持つようになり、政略結婚自体に嫌気がさしていた。

「これ以上、私を幻滅させないでください。あなたの自己満悦な言い分けはもう結構です。私はこの城を出ていきます」

 踵(きびす)を返して、そのままルパートの部屋を出て行こうとした。

「待て、許さないぞ」

 背後より、苛立たしげな声をかけられた。

「あなたの許可なんて必要としていません。私は私の意思でこの城を出ていきます」

「待てと言っているだろう!」

 ドンッという衝撃が背中に走るとともに、強い痛みが襲った。

「っあ!」

 前のめりで転びそうになったが、後ろから腕をつかまれた。リオノーラは反射的に振り返るのだが、視界に飛び込んできたものを見て我が目を疑った。というのも、ルパートの手には杖があったからだ。

 ――まさか。

 背中を杖で強打されたのだとわかり、ぞっとした。

「婚約を破棄するなど、そんな勝手な真似はさせない。お前の家から齎される利益がなくなれば、領地を維持できなくなる」

「維持? 何のこと……?」

「『相続上納金』の話だ」

「え?」

 リオノーラは訝しんだ。その意味を知らないわけではない。どうして今その単語が出たのか、そちらを疑問に思ったのだ。

 『相続上納金』とは、新たに家臣となった者が領主へ支払うお金や、領主が保有地に応じて国王へ支払うお金のこと。

「お前の家から齎されている金が入ってこなくなれば、私が父から領地を受け継いだ場合、国王へ支払うことになる金を工面できなくなる。そうなれば、国王へ領地を返還するしかない!」

 リオノーラの記憶によれば、グレンヴァース家は王都より離れた辺境に土地を与えられていることから、元々それほど裕福ではなかったのだ。そんなグレンヴァース家はリオノーラの生家であるフレイドル家と協力関係を結ぶようになってから、資金繰りが円滑に運ぶようになった。新しく興した事業もあると聞いている。だがもしもフレイドル家との協力体制が失われれば、資金繰りは見る見る内に悪化してしまうだろう。そうなれば破綻するのは時間の問題だった。

 相続上納金は、保有している領地が広ければ広いほど、国王へ支払わなくてはならない金額が大きくなる。もしもルパートが家督を継いだ場合、相続上納金を支払うことができないのは明白だった。

「自業自得じゃないですか。私の家を当てにしないでください!」

 彼の部屋の空気を吸っていたくないほどに、嫌悪した。彼が見ているのは、リオノーラの家のお金だけなのだ。

 ――こんな最低な人だったなんて……っ。

 性根が腐りきっているどころではない。

 リオノーラはルパートの手を振りほどこうとしたが、できなかった。そのまま引きずられるように部屋の奥へと連れて行かれる。

「お前に、自分の立場というものを知らしめないといけないようだ」

「は、離してっ!」

 ルパートの腕はアラステアと比べてずっと細いというのに、それでも男性の腕力を持っていた。必死に逃れようとするも、敵わない。

「暴れるな!」

 再び、杖で打たれた。今度はリオノーラの腰の部分であり、その痛みに呻き声を漏らす。

「っう!」

 ルパートを見上げれば、冷たい眼光があった。

「考え直すなら今の内だ。私とて悪魔ではないのだから、手荒なことはしたくはない」

 もう既に二度も暴力を受けたリオノーラは、白々しいとルパートを睨んだ。

「あなたにどんなことをされようとも、考え直すつもりなんてありません」

 断固として拒否した。

 ――こんな人に、負けたくない。

 リオノーラの持つ矜持が彼の言いなりになることを、許さなかった。

「そうか、ならば仕方がないな」

 ルパートは部屋の窓を開いた。それとともに肌寒い風が部屋に流れ込んでくる。外は相変わらずの大雨であり、空には黒い雲がどこまでも広がっている。

 ――嫌な予感がする。

 ルパートの腕を振り払おうとした。だがルパートはリオノーラの体を窓枠へ押し付けた。そのままリオノーラの首へ手を当てて、窓枠の外へ押す。

「きゃっ」

 リオノーラは窓枠を両手で掴んだ。同時に、彼によって落とされそうになったのだと知る。

「あぁ、危ない。うっかり突き落としてしまうところだった」

 腰より上は、窓の外にあった。かろうじて両足のつま先が床についているが、とても不安定な状態。

「やめ……、何をするのっ」

 首を押さえられているせいで、部屋の中に上半身を戻すことができなかった。リオノーラの顔や髪に、冷たい雨が当たる。

「私に逆らわず、私に従うと言え。そうすれば、助けてやる」

 仄暗い笑みを浮かべるルパート。

 リオノーラは、この場限りで従う素振りを見せるか考えた。ここで彼に嘘でも従い、危機を脱したほうが賢い選択だとわかっている。

 けれども、どうしても彼に屈したくなかった。

 このような非道な仕打ちをする相手に。

「絶対に嫌よ!」

 感情のまま、そう答えていた。ルパートの顔つきが変わる。

「……そうか。ならば、仕方がない」

 ぐいっ、と背後へ喉を押された。上半身のバランスが後ろに傾き、リオノーラの両足も宙に浮く。

 ――落ち……っ。

 臀部が窓枠から滑り、体が窓枠の外へ投げ出された。咄嗟に両手で窓枠の縁をつかみ、リオノーラの体は城の外壁へぶら下がった状態となる。

「あぁ、落ちなかったんだね」

 ルパートがリオノーラを見下ろしていた。助ける素振りもない。

「なんて、ことを……っ」

 信じられなかった。こんなことができるなどと。ルパートの部屋はアラステアの部屋と同じ三階にあり、相当な高さがあるのだ。落ちればまず、大怪我だけでは済まない。

「案外しぶといんだね、君は」

 ルパートはリオノーラの左手の指を、杖で叩いた。

「あぁっ!」

 強い痛みとともに、リオノーラの指が窓枠から離れてしまった。これにより、リオノーラは右手一本だけで窓枠の縁に掴まらなくてはいけなくなる。

「最後通告だ。私に従うなら、助けてあげよう」

 ルパートが酷薄な笑みでそう言った瞬間、稲光とともに落雷の音が鳴り響いた。あまりに強烈な雷光と轟音。

 だがリオノーラの心の中は凪いでいた。

「お断りします。たとえあなたに殺されたって、私はあなたに服従しないわ」

 はっきりと言い切った。ルパートは白けた顔をする。

「そうか、残念だ」

 彼はリオノーラの右手も杖で叩き付けようとした。リオノーラは一瞬後の自分の運命を読み取って、死を覚悟する。

 だが――。

「何をしている!」

 扉が開く大きな音がした。ルパートは振り返り、動揺する。

「な……っ」

 部屋へと乱入してきた人物は、即座にルパートの襟首を掴んで顔を殴りつけた。そしてすぐさま窓枠の外へ顔を出す。

「リオノーラ、大丈夫か。なんて酷いことを……っ。待ってろ、すぐに助けてやるから」

 アラステアだった。リオノーラは彼の顔を見て、ほっとしてしまう。

「アラステア……、どうして」

「兄貴と話をしようと城へ来たら、お前が兄貴に手荒な真似をされているのが外から見えたんだ」

 アラステアはリオノーラの右腕を左手で掴んだ。彼の左手には七年前、リオノーラを助けようとして負った傷痕がある。

「助けに来てくれて、ありがとう」

「お礼なんていいから、早く左手を貸せ」

 左手を持ち上げようとして、背中が強く痛んだ。ルパートに杖で打たれた場所が、今頃になって痛くなってきたのだ。

 ――こんなときに……。

 我慢して左腕を持ち上げようとしたとき、リオノーラの視界に恐るべき光景が飛び込んできた。

「アラステア、危ないっ」

 その忠告も空しく、アラステアは背後からルパートが手にした花瓶で頭を殴りつけられた。アラステアは上半身を崩し、窓枠へと強かに胸を打ちつける。

「ぐっ」

「アラステア!」

 悲鳴にも似た叫びが、リオノーラの口から洩れた。

「……っ、大丈夫だ。これぐらい、気にするな」

 顔を上げたアラステア。だが彼の頬に、赤い血が伝うのを見た。顎にまで達すると、ぽたぽたと鮮血が落ちる。

「アラステア……、血が……」

「こんなの、どうってことない。いいから、早くもう片方の腕を」

 そう言っている傍から、ルパートがアラステアの背を杖で叩き付けた。

「いつもいつも私の邪魔をして……っ。お前のせいで、どれだけ私が苦しめられてきたことか。跡取りが私ではなくお前ならばよかったのにと、城中の者達が噂をしているのを、お前は知らないだろうっ!」

 容赦なく杖でアラステアの体を打ち、その都度アラステアが顔を歪めた。彼が叩かれる度にリオノーラの体へ振動が伝わり、揺れる。

「ルパート様、やめてください! なんでもしますから、アラステアを傷つけないで!」

 リオノーラは大声で訴えたが、ルパートの耳には届いていないようだった。彼の瞳は憎悪で染まっている。

「お前なんて、いなくなればいいんだ……!」

 その声とともに、アラステアが苦悶の表情で声を洩らした。すぐに彼に何かあったのだと異変を感知したが、リオノーラの位置からでは何が起きたのか見えない。

「アラステア……? どうしたの、アラステア!」

 アラステアはリオノーラを見た。彼の頬に流れる血は、未だ止まってはいない。

「お前は何も気にするな」

 無理を隠すように笑うアラステア。そこで、視界の端に何か光るものが映った。

 ――あれ、は……。

 ルパートが手にしているもの。それは、鈍く光るナイフ。だがその刀身は、赤く染まっていた。リオノーラはその意味に気が付くと、ぞっとして青ざめる。

「アラステア、どこか刺されたのっ?」

 アラステアは舌打ちでもしそうな顔をした。

「俺のことはいいから、早く手を貸せ! 落ちるぞ!」

 リオノーラは手を伸ばそうとした。だがルパートは興奮状態にあり、いつまたアラステアを傷つけるかわからない。

 ――ダメだ。このままじゃ二人とも。

 リオノーラは七年前のことを思い出した。森で自らが崖から落ちかけたとき、彼が助けてくれようとしたのだ。けれども、リオノーラは二人が同時に崖下に落ちることを懸念してしまった。だから、リオノーラは自分から手を離したのだ。

 そして現在(いま)の状況は、七年前の状況と非常に酷似していた。

 リオノーラは、自分がすべき役割を即座に把握する。それとともに、以前彼へと酷い言葉をぶつけてしまったことを謝罪しようとした。

『アラステア。この前は、大嫌いって言って、ごめんね』

 リオノーラはそう口にしようとした。だがとどまる。

 彼にそんなことを言えば、彼は一生悔やんで己を責め続けることだろう。そんな辛さや重荷を、彼に背負わせたくはない。

 だから、リオノーラは違う言葉を選んだ。

「アラステア。私はあなたのこと、好きじゃない」

「は?」

「意地悪だし、強引だし、自分勝手だし。どうせルパート様と一緒で、あなたも私の家のお金が目当てなんでしょう?」

 こんなこと、ちっとも思っていない。全部嘘だ。けれども、リオノーラは敢えて彼が傷つく言葉を選んだ。

「リオノーラ、こんなときに変なことを言い出すな」

 彼は困惑していた。

「アラステア。私はあなたのことが、大嫌いよ」

「っ!」

「大嫌いっ!」

 リオノーラは目を閉じて、そのまま彼の手を放そうとした。だがそうする前に、リオノーラの腕はより強く握られた。驚いて彼を見上げれば、楽しそうに笑っている。

「バカじゃないのか、お前。……あぁ、違うか。お前は大バカだったな」

 場違いなほどに笑うアラステア。リオノーラは呆気にとられてしまう。

「な……」

 アラステアは一瞬あって笑いを止めると、真顔になった。

「そんな『優しい嘘』に、俺が騙されるわけがないだろうがっ。俺にお前の考えが見抜けないとでも思っているのか! ふざけるな!」

 怒鳴られて、リオノーラは表情が作れなくなってしまった。なぜ、とも、どうして、とも聞き返せない。

「……っ」

「俺の手を掴め。俺を信じろっ!」

 その言葉に、リオノーラの顔が引き締まった。

 ――そうだ。私は、アラステアを信じるって、決めた。

 彼が信じろと言うのならば、信じなくてはいけない。

 だから、リオノーラはアラステアへ手を伸ばした。その手をアラステアはしっかり掴み、リオノーラの体を慎重に引き上げる。

「アラステア……」

 再び部屋の中へ戻ることができたリオノーラは、体が震えていた。今頃になって怖くなったのだ。アラステアはほっとしたようにリオノーラを抱きしめると、リオノーラの頭を撫でる。

「怖かったな、もう大丈夫だ」

 リオノーラは首を振った。今は自分のことよりも、アラステアのほうが大事だと。彼は頭を殴られ、ナイフで切り付けられたはずなのだ。ルパートを探せば、彼はまだナイフを手にして立っている。

「邪魔をするな、アラステア!」

 アラステアへ切りかかろうとするルパート。だがそれよりも先に、アラステアの前へ誰かが立ちはだかった。その人物はルパートの攻撃をいなすと、足を払って床へと押さえつける。

「アラステア様、遅くなってしまい、申し訳ありません」

 セドリックだった。アラステアは小さく頷く。

「助かった、セドリック。そのまま押さえつけておいてくれ」

 アラステアは窓を閉めた。それとともに雨音が遮られ、部屋の中は少しばかり静かになる。ルパートはというと、アラステアを忌々しそうに見ていた。

「放せ!」

「落ち着けよ、兄貴」

「こんなことをしても、無駄だぞ。私がいる限りお前はこのグレンヴァース家を継げないし、リオノーラと一緒になることもできない。それとも、私を殺してグレンヴァース家を乗っ取るか?」

 アラステアは溜息をついた。それは、どう話をしていいのかわからないようにも見える。

「俺は自分の領地を既に持っているし、この家なんて興味はない。そう思っていたんだが、事情が変わった。……愚かな真似をしたよな、兄貴も。せっかく親父殿がコリーンと一緒にさせようと、わざわざ死んだことにまでしたというのに」

「なんだと?」

 アラステアは一歩前へ出た。

「実はな。兄貴がコリーンと駆け落ちした後、親父殿は二日後にはもう行方をつかんでいたんだ」

「……っ!」

「俺達の家は公爵家だぞ。これぐらいの捜索、簡単にできる。俺でさえ隣国からこっちに戻ってきて、七日とかからずに兄貴達の行方を知ることができたんだ。逃亡に慣れていない兄貴達を見つけるのはそう難しくはない」

 ルパートは声を失っていた。無理もないだろう。リオノーラでさえ、知らなかった事実なのだから。

「アラステアがルパート様達の行方をそんなに心配していなかったのは、そういう事情だったのね」

「あぁ。だが、リオノーラと狩りへ行く前に、監視役から受けた報告の手紙には、流石に青ざめた」

「私と、狩りへ行く前?」

 そういえば、とリオノーラは思い当たる節があった。視察から戻ってきて早々、彼は届いていた手紙を確認していたのだ。その時に、とても険しい顔つきをしていた。

「コリーンを連れて、敵国へ駆け落ちをしようとしたらしい。だが失敗し、国境の警備を任されている領地の兵士に捕えられて、幽閉されたんだ。その証拠に、兄貴の背中には鞭で打たれた痕があるはずだ。杖を使わないとまともに歩けないようだから、相当な鞭を受けたはずだろう。傷薬のニオイもしているから、案外まだ治りきっていないんじゃないか?」

 コリーンとの駆け落ちは芝居だと言っていたルパート。けれども、それは偽りだったのだと知った。彼はコリーンと本気で駆け落ちをするつもりだったのだ。

「グレンヴァース家の者だと、明かさなかったの?」

「普通の庶民ならば鞭打ち程度で済むが、公爵家の者が敵国へ行くとなると、話は全然変わってくる。国王は我が公爵家に不信感を抱き、逆賊だと認定して爵位の返上を求めてもおかしくはない。……兄貴はそれを懸念して言わなかったんだろう」

「それは、アラステアのお父様やアラステアの立場を気にして、ってこと?」

「いや、違う。駆け落ちに失敗したなら、次の手段はこのドゥヌカ城へ戻ってくるしかなくなる。兄貴は自らの保身のために、身分を黙っていたんだ」

 アラステアが溜息をついた。ルパートは口元を歪める。

「だったらどうした。真実を暴露するのか?」

「俺自身は身内の不始末はきちんと片を付けたほうがいいと思っている。だから、この件は国王に報告をさせてもらう」

「正気か? そんなことをすれば、我が公爵家はどうなるか……っ」

「リオノーラを殺しかけたんだ。家を取り潰すことになったとしても、兄貴は上級裁判で国王に裁かれるべきだと思っているよ。それだけのことをしたんだ。罪は購ってもらう。あと、ルパートが国境を越えようとした際に取り調べを行ったという男性を、証人として連れてきている。少し手間取ったがな。……だから、逃げられると思うなよ。俺は何が何でも、兄貴を許すつもりはないからな」

 反逆罪は上級裁判にて有力者が裁きを行う。通常ならば上級裁判で罪を下す資格があるのは公、伯などの位の高い爵位を持つ者。だがもしも今回の件が上級裁判で問題にされるとするならば、国王自身が罪の有無を下すこととなる。

「……ぐ! アラステア、お前っ!」

 そこで、よく見知っている人物が部屋の中へと入ってきた。アラステアとルパートの父親である、フレッド・グレンヴァースだ。リオノーラとアラステアを置いて遠方の城で暮らしていた彼が、なぜここにいるのか。

「アラステア。そんなことをしても、誰も得をしない。その件は私に預からせてもらおう」

 アラステアは面倒そうにした。

「……っ」

「我が公爵家がなくなっては、リオノーラの家も困ることになる。それぐらいのことは、お前もわかっているだろう」

「随分と兄貴に甘いんだな。だったら、どうやって兄貴を裁くんだ」

「問題はない。アラステアへ公の爵位を譲ることで、ルパートは生涯辱めを受けることになる」

 リオノーラは怪訝そうにした。次男であるアラステアが家を継ぐのは、ルパートが生きている限り不可能だ。だがアラステアは動揺せず、余計に不機嫌になるだけ。

「そんなの、罰とは言わない。処分が生温過ぎる。リオノーラを殺しかけたんだぞ。それ以上の苦痛を味わってもいいぐらいだ」

「コリーンには、こことは別の領地へ移ってもらう。ルパートにも、遠方の施療院へ移ってもらう。二人が会うことはもう二度とないだろう。ルパートにとってはこれが最大の罰となる」

 この言葉にルパートが驚愕した。

「お父様、コリーンは関係ありません! 今回のことは、全て私が勝手にしたことです! コリーンは、関係ないのです! だから……」

 話を続けようとしたルパートの声を、それを上回る声量でフレッドが遮った。

「かもしれないな。だがお前は自分が仕出かしたことの罪の大きさを、身を以って知るべきだ。この決定を覆すつもりはない」

「そんな……っ」

「あと、グレンヴァース家の跡取りはアラステアにする」

 ルパートは信じられない面持をしていた。それはリオノーラも同じであり、無意識に首を傾げてしまう。

「そんなことが、可能なの?」

 リオノーラの疑問に、アラステアが答えた。

「あぁ」

「だって、法律で決まっているのよ? 長男しか継承できない、って」

「普通はそうだな。でも俺の家の場合は、継承権の範囲を予め広げてあるんだ」

「継承権の範囲を?」

「通常、順当にいけば兄貴が跡取りだが、兄貴が死んだ場合は俺が跡を継ぐこととなる。けれども、俺の家の場合は、兄貴が病弱だろ? いつ亡くなるかわからなかったし、突然精神が錯乱しておかしくなることも考えられる。だから、前以って継承権の規約を王に広げてもらっていたんだ」

「つまり、アラステアでも跡を継げるように、ってこと?」

「そうだ。ルパートが跡取りとして相応しくない精神状態であるならば、俺が跡取りとなる、っていう内容だ。父が俺を隣国から呼び戻した際の手紙に、そう書かれていた。父はルパートがコリーンを連れて駆け落ちをしたときから、俺をグレンヴァース家の跡継ぎにしようと構想していたんだろう。俺としてはそんな甘い処分じゃなく、裁判で決着をつけたいんだがな」

 ルパートは茫然としていた。

「……そんな、バカな……」

 ルパートは完全に力を失くし、項垂れた。アラステアもまた、リオノーラの体へと寄りかかる。

「アラステア……? どうしたの?」

「いや、ちょっと眩暈が」

 アラステアの体を支えようと彼の腰に手を回すと、ぬるついた何かが手のひらに付着した。それが血だと知り、リオノーラは蒼白になる。

「アラステア、血が……っ」

 アラステアの体が傾いた。倒れそうになるのをリオノーラは支えると、床へ座らせる。

「すまない。大したことないから、気にするな」

「気にするなって、こんなに血が出て……。すぐに手当てをしないと!」

 彼の腰部分が赤くなっていた。どの程度の傷なのか、服の上からではわからない。

「あぁ、そうだな……」

 このままでは彼が死んでしまうと、リオノーラは焦った。だがアラステアはそんなリオノーラの手を握って引き寄せると、唇へ口付けをする。

「落ち着け。お前を残して死んだりしないから」

「で、でも……」

 彼の顔色は白く、平気なようには見えなかった。虚勢を張っているのは、一目瞭然。

 ――顔色が悪い。今すぐにでも手当をしないといけないのに。

 アラステアはリオノーラの頬を両手で包み込むと、額を合わせた。

「リオノーラ。今から大切なことを言うから、よく聞け」

 まるで最期の言葉かのように、彼が告げた。

「あ、後で聞く。だから……」

「リオノーラ」

 アラステアがリオノーラの声を遮った。これにリオノーラは泣きそうになってしまう。

「……っ」

「今から大事なことを言うから、聞いて欲しい」

「わ、わかった……」

 鼻声になってしまったが、彼から目は逸らさなかった。アラステアはそんなリオノーラに温かな眼差しを向ける。

「一度しか言えないかもしれないから、よく聞いてくれ」

 リオノーラは彼が何を伝えようとしているのか瞬時に読み取り、彼の口元を両手で塞ごうとした。だがその手はアラステアによって、阻止されてしまう。

「ま、待って。言わないで。お願いだから……っ」

「リオノーラ。お前が好きだ。大好きだ。世界で一番愛している」

 リオノーラの目から涙が零れ落ちた。

「知ってる。私も、あなたのことが大好きよ。愛しているわ」

 アラステアは微笑んだ。

「そうか。なら、悔いはないな」

 ぽつりと呟き、アラステアが瞼を閉じた。リオノーラは全身から血の気が引いてしまう。

「アラステア……?」

 ぞっとした。アラステアの手が床へと落ちる。

 ――まさか。

 リオノーラはアラステアの肩を揺すった。

「アラステア、死なないでっ!」

 彼からの反応はなかった。

 ――嘘よ、嘘よ!

 信じられない、と首を振った。彼の頬へ手を当てるが、ぴくりとも反応がない。

「アラステア……、お願いよ。私を一人にしないで……」

 そこへ、ルパートの身を拘束していたセドリックがやってきた。彼はアラステアの体を確かめて、ほっとする。

「急所ははずれています。アラステア様は、取り敢えず無事でしょう」

「え? だって、動かないわよ?」

「眠っているだけです。ずっと眠れていなかったようなので、気が抜けてしまったのでしょう」

 リオノーラはアラステアをよく観察した。きちんと呼吸をしており、死んではいない。部屋が薄暗いせいでよくわからなかったものの、彼の目の下にはクマができている。

「良かった、アラステア……」

 リオノーラは安堵のあまり、涙を流した。

 

 

 アラステアが手当てをする際、リオノーラは傍で付き添った。手当てが済んだ後は彼の服を着替えさせたのだが、彼の胸元にはもう呪いの刻印は消え失せていた。

「魔女の呪いが解けるなんて……」

 リオノーラはアラステアが眠っている寝台の傍に椅子を置き、そこへ座って彼を見守った。出血の割に傷口は浅く、命に別状はなかったのだ。だが頭部に巻かれた包帯が痛々しい。

「無事でよかった……」

 思い出しただけで、ぞっとした。彼からの告白は嬉しかったが、それ以上にとても恐ろしかったのだ。彼が死んでしまうのではないかと。それは今も同じであり、唐突に呼吸が止まってしまわないか、リオノーラは時折確認をする。

 そうして時間が流れ、翌朝――。

 雨はすっかり上がり、窓の外には大きな虹が見えた。窓から差し込む朝日が、とても眩しい。

「……ん」

 リオノーラははっとして瞼を開いた。

「あぁ、起きたか」

 アラステアが隣に寝転んでいた。どういう状況なのかと、リオノーラは周りを見る。

「……私、アラステアのベッドに……。ごめんなさい、いつの間に潜り込んでしまったのかしら」

「俺が寝かせたんだよ。椅子の上に座ったまま眠っていたから」

「え?」

「ったく、こっちは怪我人だっていうのに……」

「ごめんなさい……」

 アラステアはリオノーラの髪を撫でた。いつも結い上げているリオノーラの髪は、おろされている。恐らくはアラステアがリボンを解いたのだろう、と察した。

「お前、俺が告白しようとしたとき、口を塞ごうとしたな。呪いのこと、知っていたのか?」

 リオノーラは頷いた。

「少し前にね、思い出したの」

「思い出した?」

「うん。七年前に私が崖から落ちたとき、死んでいなかったのよ。なんだか運がよかったみたいで、無事だったの」

 シルヴェストルのことを思って、彼女の正体は隠しておくことにした。アラステアは目を剥いて驚く。

「冗談だろ?」

「冗談じゃないの。体のほうは大きな怪我もなく無事だったんだけれど、森に住む魔女のせいで、仮死状態にされていたみたいで。だから、アラステアが魔女と交わした契約のことも知っていたの。……でも私はそのことを、ずっと夢の中の出来事だと思い込んでいて。……本当にごめんなさい、アラステア」

 アラステアは首を振った。

「いや、いいんだ。ただでさえ崖から落ちるなんていう、あんな怖い思いをしたんだ。夢の出来事だと思っても仕方がない。それにそもそも、夢の出来事だと思い込ませようとしたのは、この俺だ。だからお前のせいじゃない」

 リオノーラはどこか飄々とした態度をとるアラステアに、腹が立った。

「どうして、私に愛を告げたの? 下手をしたら、死んでいたかもしれないのに」

 沸々と怒りが込み上げてきた。なぜあのタイミングで彼は告白をしてきたのか。

「したかったから、じゃダメか?」

「したかったから、って……」

「お前が窓から落ちそうになっていたとき、お前は俺を信じて手を差し出した。あの瞬間に、お互いの気持ちが通い合ったのがわかったんだ」

「だからって、無謀すぎるわ」

「無謀じゃねえよ。お前が俺のことを好きなのは、わかっていたし」

 リオノーラはその言葉に顔が赤くなった。

「な……っ」

「まさか、気づかれていない、とか思っていないよな?」

「……っ」

「俺はお前の気持ちを知っていた。お前が俺を愛しているって。だから俺も、愛を告げたんだ」

 にこり、と笑うアラステア。これにリオノーラはいたたまれなくなってしまう。

 ――なんて、傲慢な人なんだろう。

 悔しいことに、言い返せなかった。自分が彼に好意を持っていることは、もう隠しようのない事実だからだ。

「わ、私で、いいの?」

「お前がいいんだ」

 リオノーラは黙り込んだ。気まずくて顔を毛布で隠してしまう。そんなリオノーラを見たアラステアは、楽しそうに笑った。

「お前は本当に可愛いな。見ていて飽きない」

「か、かわ……っ?」

 初めてではないだろうか。彼からそのようなことを言われたのは。

「別に驚くことはないだろう。もう呪いは解けているんだし。お前にどれだけの賛辞を述べたとしても、俺は死んだりしないからな」

 だからといって、恥じらいもなく簡単に言えるものなのだろうか。

「だ、だって、今まで言われたことがなかったんだもの。あなたから、可愛いだなんて」

「ふうん、そうか。じゃあ、これから慣れていくといい。俺ももう、遠慮をするつもりはないし」

 居心地が悪すぎて、リオノーラは話題を変えようとした。

「あ、あの、アラステアのお父様、フレッド様のことなんだけれど、どうしてここに突然帰ってこられたのか、知ってる?」

「俺が頼んで戻ってもらったんだよ。兄貴に下手なことを言ったら、また俺を城から追い出しかねない。城の者達はルパートを次期後継者と見ているから、兄貴の命令には逆らえないだろう? だからそうされないように、父に帰ってきてもらったんだ」

「そうだったの……。じゃあ、この城を出て行ってからは、ずっとフレッド様の元に?」

「いや、ルパートが国境を越えようとしたことを証言してくる奴を、こっちへ連れてくる準備をしていた。ルパートがそんな事実はないと否定したときのための、備えだ。俺は兄貴を牢屋送りにしてでも、お前を守るつもりだった」

「そんな……」

 リオノーラは自分を恥じた。彼の気持ちを疑って、彼を一方的に責めたのだ。アラステアがそれほどまでの覚悟を決めていたなど、考えも及ばなかった。

 アラステアはリオノーラの左手をそっと握った。リオノーラの指には痣ができており、青くなっている。

「これ、兄貴にやられたんだろう?」

「う、うん……。でも全然平気よ? 痛みはないもの」

 アラステアは悲痛な面持ちをした。

「すまない……。俺がもうちょっと早くに城へ訪れていたら、お前にこんな怪我はさせなかったのに」

「気にしないで? 本当に大したことはないから」

「他に怪我は?」

 彼に余計な心労を与えたくはなくて、リオノーラは首を振った。

「ううん、大丈夫よ」

 だがアラステアには、それが嘘だとわかったようだった。

「見せてみろ。手当はしたのか?」

 アラステアは体を起こすと、リオノーラの体から毛布を剥いだ。そして服を脱がせようとする。

「アラステア、ちょ、やめてっ」

「俺に見せろ」

 体を強引に抱き起され、そのまま服を脱がされた。アラステアはリオノーラの背中にある痣と腰部分にある痣を見とめて、息をのむ。

「あの、これぐらい痛くないから。私よりも、アラステアのほうがよっぽど大怪我で」

 リオノーラは胸元を隠しながら、そう言った。

「お前は女なんだぞ! ……こんなに痣になっているなんて、痛かっただろうに」

 彼のほうが痛そうな顔をしていた。リオノーラは申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

「アラステア、お願いだから気にしないで」

「お前を傷つけるなんて。俺は肝心なときにお前を守れていないな」

「そんなことはないわ。アラステアはいつだって私を助けてくれた。私が窓から落ちそうになっていたときも、あなたは真っ先に駆け付けてくれて、私の命を救ってくれた。本当にありがとう」

 心を込めてお礼を告げると、アラステアは頬を赤く染めた。そして顔を横に向ける。

「……、やっぱりお前なんて、大嫌いだ」

 リオノーラは困惑した。どうしてそこで大嫌いだと言われてしまったのか。

「そういえば、以前にも私を大嫌いだって、言ったわよね。どうして?」

 質問をすれば、彼は余計に顔を赤くした。耳や首筋まで染まっており、嫌そうにしている。

「……お前があまりにも可愛過ぎるから、悪いんだろ」

 予想外の答えに、リオノーラは耳を疑った。

「え?」

「俺が色々と我慢をしてるのに、お前はいつもいつも俺の気持ちを試すかのように、可愛い反応をして。俺を誘惑すると言ったり、無防備に俺の入浴中へやってきたり」

「ご、ごめんなさい……」

 アラステアは舌打ちをすると、リオノーラの方を向いた。顎を捉えると、そのまま口付けをする。

「覚悟しろ。今日は放さないからな」

「まっ、待って、アラステア! 怪我をしているのに」

「こんなのかすり傷だ」

 唇を奪われた。リオノーラは求められていることに、感極まってしまう。

 ――アラステア。

 彼の口付けを受け入れた。侵入してきた舌を咥内へ受け入れて、互いの舌を絡ませる。すると、何とも言えない恍惚とした感情が胸の内に広がった。

「……んっ」

 上顎の部分をなぞられて、全身にぞくぞくとしたものが駆け巡る。口付けをされているだけだというのに、彼の愛情を感じた。息が乱れるほどの、激しい口付け。だというのに、もっと、と欲さずにはいられない。

「リオノーラ、愛してる」

 熱に浮かされたように、アラステアに告げられた。それが涙が出るほどに嬉しく、頷く。

「うん」

「おい、泣くなよ」

「うん……」

 頬に流れる涙を、リオノーラは手で拭った。彼から愛を告げられる日がこようとは、想像もしなかった。

「仕方がないやつだな」

 アラステアは苦笑すると、リオノーラの首筋に口付けた。下から上へと往復すように舌を這わせ、リオノーラの体が熱くなっていく。

「アラステア、ダメよ。あなた、怪我をしているのに」

「平気だ。こんなの怪我の内にも入らない」

 アラステアはリオノーラの耳朶を食んだ。あまりにも甘く噛まれ、心臓が大きく打つ。アラステアはそんなリオノーラの反応を見ながら、更に耳の裏へ口付けた。

 ――アラステアが口付けをする音が聞こえて、なんだか恥ずかしい。

 身動(みじろ)ぎをしようとしたが、アラステアはリオノーラの肩を両手で押さえた。そのままリオノーラの耳孔へと、鋭く舌を尖らせて侵入させる。

「……っあ」

 びくん、と体が跳ねてしまった。

「動くなよ」

「そ、そこ、ダメ……ッ」

 耳の孔に舌を入れられ、内側をなぞられた。それだけで、下腹部が熱くなってしまう。

 そんな場所に触れられて感じてしまうなど、自分の体が信じられなかった。

 アラステアはリオノーラの頬へそっと口付けを落とし、楽しそうにする。

「そんな恥じらいの態度を見せるな。俺の欲情を煽っているだけって、わからないのか?」

 当然、リオノーラにはそのようなつもりはない。だがアラステアは益々熱が増し、リオノーラの額、鼻先、唇へと口付けを落としていく。そのまま、鎖骨へ口付けをし、赤い印をつけていく。

「ずっと俺は、お前に片想いをしていた。お前は兄貴のことが好きだったから、いつも嫉妬していた」

 リオノーラの肩口に額を置くアラステア。

「いつから……? 私はあなたに嫌われていると思っていたわ」

「初めて庭園で会ったときに、凄く綺麗な女の子がいる、と強く印象が残ったんだ。それ以来、ずっと気になっていた。会う度に普通に喋りたいって思っていたのに、俺はひねくれていたから、いつもお前に意地悪をしていた。……きっと、気を引きたかったんだな」

「アラステア」

「俺は兄貴がコリーンと関係があることを、知ってた。なのにお前は兄貴のことしか見えていなかった。……俺は俺以外の奴のせいでお前が傷つくのだけは嫌だったから、兄貴がコリーンと恋仲にあるというのは、隠したかったんだ」

 それが幼い頃にアラステアに目隠しをされたこととわかり、リオノーラは目を伏せた。

「そうだったの……」

「お前が俺の気持ちを受け入れてくれたこと、嬉しく思う」

 リオノーラはアラステアの左手を取った。彼の左手には、リオノーラを助けようとしてできた傷がある。その部分へ、口付けをした。

「ありがとう。こんな私を好きになってくれて。愛してくれて」

 アラステアはリオノーラの体を寝台へそっと倒した。アラステアも寝衣を脱ぎ、肌を露わにする。その胸元にあった呪いの刻印は、もうない。

「アラステア……?」

 その呼びかけに応えるように、アラステアはリオノーラの体の上へと覆いかぶさった。そしてリオノーラの胸に赤い印を刻み付けていく。それは所有の記であり、彼のものであるという証拠。くすぐったさと同時に、リオノーラの心はドキドキしてしまう。

「お前の肌は、とても触り心地がいい」

 胸を両手で掬い上げるように、包まれた。より一層胸がざわつき、羞恥心でどうにかなってしまいそう。

 ――恥ずかしい。心臓の音が聞こえてしまいそう。

 彼を視線を向ければ、互いの目があった。リオノーラの反応に彼は満足しているのか、陶然とした面持ちで見入っている。それが余計に、リオノーラの感度を高めてしまった。

「……っう」

 巧みな指使いで胸を揉みしだかれた。眼下で自らの胸が形を変える様は非常に扇情的であり、淫らな姿だ。嬌声が漏れないように耐えようとしたが、それはできなかった。

 ――私、おかしい。胸を触られるだけで、こんなに気持ちいいなんて。

 逃げたい衝動にかられた。だが彼にもっと触れられたいと、矛盾した気持ちが拮抗する。

「俺はお前を寝台の上で苛めるのが、好きだ」

 カァッ、と頬だけでなく、体全体が紅潮した。アラステアは口元を釣り上げてにこりと笑うと、リオノーラの胸の頂に口元を寄せた。そのままそっと啄むように、頂を吸い上げる。

「だめぇっ」

 びりびりと、足のつま先から隠微な感覚が駆け上がってきた。

 アラステアは咥内へリオノーラの胸の頂を含むと、コリコリと歯で刺激を与える。それはむず痒くなるほどの優しいものだったが、リオノーラにはとても強い刺激。

 ――胸が熱い……っ。

 彼に胸を吸われる度に、卑猥な音が聞こえた。舌で乳房の周りをねっとりと舐められ、それが何とも言えない快感となってリオノーラを襲う。

「いつもより、感度がいいんじゃないのか?」

 アラステアは空いている手で、リオノーラの脇腹を撫で上げた。

「そんなことは……、アラステアの触り方とかが、いやらしいのよ」

 アラステアは心外そうにむっとした。

「……俺はお前の体のほうがよっぽどいやらしいと思うがな。そういう体つきをしているお前のせいだから、俺は悪くない」

 まるで子供のような反論をし、アラステアはリオノーラの内股を撫でた。そのままリオノーラの両脚を開き、秘された場所を暴く。すると足の間に空気が流れ込み、少しひんやりとした。

「あ、あの、アラステア……」

 しっとりと濡れているのが自分でわかり、リオノーラは気恥ずかしくなった。脚を閉じようとするも、アラステアの手に阻まれてしまう。

「リオノーラ。隠すな」

 アラステアの手が秘部へと滑り込んできた。指で柔らかな襞を擦りあげられたリオノーラは、体を震わせてしまう。

「や、そこ……っ」

 蜜が膣口より溢れ出した。その蜜を指で取り、アラステアは襞へ入念に塗りつけていく。それによって滑りがよくなり、得も言われぬ快楽がリオノーラを襲う。

 ――触られているだけなのに、どうしてこんな……っ。

 全身が熱くなり、高揚した。更なる蜜が溢れ出すのがわかり、リオノーラは呼気を乱さずにはいられない。

「……あぁ、また溢れてきた。なんていやらしい躰をしているんだろうな、お前は」

 指の腹で秘部の中央をゆっくりとなぞられた。それだけで、リオノーラは声を漏らす。

「……ふ、んぅっ」

「ここ、すごく勃ってるぞ」

 最も敏感な場所である花芽に、アラステアの指が当たった。ほんの僅かに触れただけで、リオノーラの腰が浮いてしまった。だが、アラステアがリオノーラの腰をつかんだ。それとともに、花芽を指で愛撫し始める。

「や……、だめっ、強く触らないでっ」

 ほんの些細な力が加わっただけで、視界が明滅するほどの快感が全身を苛んだ。その快感に身を任せれば、あっという間に肌が火照ってきてしまう。

 ――どうしよう、すごく気持ちいい。

 指で捏ねられるだけで、子宮の奥が疼いた。

「お前が感じている顔、すごくそそられる」

 彼に与えられる淫楽に夢中になっていたことを見抜かれ、リオノーラは顔を覆いたくなった。あられもない嬌態をさらしていることが、情けなくなる。

「ご、ごめんなさ……」

「いいよ。むしろもっと見たいって思う」

 花芯に指で振動が与えられた。

「きゃ……っく」

 あまりの壮絶な快楽の波に、リオノーラの意識が飛びそうになった。アラステアに腰をつかまれているせいで身動きができず、花芯が弄(なぶ)られ続ける。

 完全に、彼に翻弄されていた。

 恐ろしいほどの何かが、体の奥から迫ってくる。

 逃れたいというのに、甘い責め苦から逃れることを彼が許さない。

「気持ちよさそうな顔をしやがって……」

 アラステアがリオノーラの胸に口付けを落とし、頂を軽く噛んだ。チリッとした痛みが、余計に体を過敏にさせた。

「アラステア、もう……っ」

 声は聞こえているはずだった。だが彼はリオノーラの言葉を無視する。

 ――このままじゃ、頭がおかしくなってしまう。

 花芯が充血し、より一層彼の指に反応していた。やめてほしいのに、体がそれ以上の刺激を欲してしまう。

「……っあ!」

 どくん、とまるで波打つような感覚とともに、リオノーラは果ててしまった。自分でも知らず知らずの内に息が乱れており、くたりとしてしまう。

「本当に、体力がないな……。これからが本番だっていうのに」

 呆れた声で微笑むアラステア。リオノーラは彼の腰に巻かれている包帯に目を向けて、不安な面持ちになってしまう。

「腰は、大丈夫なの?」

「どうってことない」

「で、でも、傷口が開いたら……」

「平気だって」

 リオノーラは首を振った。

「や、やっぱり、よくないわ。……そ、そうだ。別の体勢を考えましょう? 私にできることがあれば、するし」

 彼の体が心配でそう提案したのだが、アラステアはなぜかにやにやという表現が相応しい笑みを浮かべた。悪巧みを思いついたと言わんばかりの表情に、リオノーラは重圧を感じてしまう。

「……そこまで言うのなら、仕方がねえよな。お前がそんなにも俺に奉仕がしたいっていうのなら、任せよう。断るのも失礼だしな」

「えぇ……?」

 アラステアは寝台の上に座った。彼の下半身には大きく屹立したものがある。それはあまりにも存在感があり、リオノーラは緊張してしまう。

「お前が俺のを自分で挿れてくれれば、俺の腰にも響かないし、一件落着だ」

 耳を疑う言葉が飛び出した。リオノーラは大きく目を見開いてしまう。

「わ、私が?」

「あぁ。もしかして、嫌なのか?」

「え……、その」

「まさか、さっきの言葉は嘘だったのか? できることがあればする、って言ったのに」

 試すかのような口調。リオノーラは彼の腰に巻かれた包帯に、心を痛めてしまう。

 ――私を助けようとして負った傷。

 彼の体に傷を残してしまうことが、辛かった。

「わ、わかった。あなたがそう望むのなら、やってみる」

「いい心がけだな」

 寝台へ横になるアラステア。リオノーラは一瞬遅れた後に、彼の体へ跨って膝立ちをする。そして、彼の大きな屹立に視線を落とした。

「さ、触ってもいい?」

「どうぞ?」

 恐々と彼のをそっと手にした。とても熱く、そして重量感がある。それを自分で体の中へ入れなければいけないのだと想像し、軽い眩暈を覚える。だが、戸惑ってばかりもいられなかった。リオノーラは自分の手を下半身へ伸ばし、花弁を開いた。それとともに蜜が零れ落ち、彼の足を濡らしてしまう。

「ご、ごめんなさ……っ」

「俺のことは気にしなくていい」

 笑いそうになるのを堪えている声だった。リオノーラは顔を真っ赤にしながら、彼の濡れそぼった肉棒の先端を膣口へと当てる。それだけで、とてつもなく淫らな気持ちになってしまった。

「……っ」

 ゆっくりと、入れようとした。だが先端が微かに膣口へ侵っただけで、上半身を前へ倒しそうになってしまう。

 ――膣内(なか)が、ヒクヒクしてる……。

 アラステアの大きなモノを中へ導く作業は、困難を極めた。だがリオノーラの淫らな蜜が潤滑油の役目を果たし、ずるずると飲み込んでいく。

「は、入った……っん」

「じゃあ、上下に動いてくれ」

 ほっとしたのも束の間、リオノーラはアラステアの容赦ない一言に絶句した。

「む、むり……、だって、はいってるのよ? なか、はいってるのよ?」

 混乱するあまり、しどろもどろになりながら返答した。

「頑張ればできるから。ほら」

 アラステアに膝をぺちぺちと叩かれ、リオノーラは頑張って動くことにした。腰を上げてみるが、膣壁が擦れるのがわかった。抜けないように気を配りながら、今度は腰を落としていく。

 ――ぁ、奥に当たった……っ。

 最奥に彼の肉芯が当たると、快楽が脳天を突き抜けた。幾度か上下に腰を動かす作業を行い、自らの悦楽を追い求めることに夢中になってしまう。

「はぁ……ん、あ、……っんぅ」

 ぐちゅり、ぐちゅり、と淫らな音とともに、腰を上下に振った。それを眺めているアラステアもまた、満足げな様子。

「上手だぞ」

 動くたびに、胸が揺れた。彼はそれを見ており、リオノーラはあまりの恥かしさに顔を背けたくなる。だが彼のモノで熟れた蜜壁を擦ると、疼きが和らいだ。

「っ、く……、あぁ……っ」

 奇妙な酩酊感があった。

 ――なんて、いやらしい体勢なんだろう……。

 幾度も腰を落とすものの、慣れていないこともあってスムーズにするのが難しかった。そのせいで、なかなか達することができない。

「仕方がないな」

 アラステアが上半身を起こした。リオノーラとアラステアは繋がったまま、向き合う。

「アラステア……?」

「動くぞ」

 下から強く穿たれて、リオノーラは頤を上げて背中をしならせた。

「ひゃ……、ぁあっ」

 幾度も彼の強直で奥を突き上げられ、リオノーラはわけがわからなくなった。そのまま彼の獰猛な肉茎で蜜孔を蹂躙され、ひたすら耐える。

「なんて声だ。よっぽど、これが好きなようだな」

 そんなことはない、と否定はできなかった。彼の逞しいモノで中を抉られる度に、リオノーラはもっと、とねだりそうになるからだ。

「アラ、ステア……」

 泣きそうな声で、彼の名を呼んだ。アラステアはリオノーラの背中を腕に抱(いだ)きながら、頷く。

「お前を愛してる」

 その囁きに、胸がいっぱいになってしまった。突き入れられる毎に、凄絶な快感が脳内を真っ白に染め上げていく。

「ゃ……っあぁ!」

 一際大きく中を穿たれた瞬間に、リオノーラは達してしまった。だがアラステアはまだリオノーラの膣内をグラインドさせ続けている。

 ――もう、無理なのに……っ。

 隘路に幾度となく抽挿が繰り返され、リオノーラはその間何度も小さな絶頂を迎えた。その心地の良さに、忘我に陥ってしまう。

「リオノーラ……ッ」

 名を呼ばれ、それとともにアラステアが膣内(なか)へと熱の塊を解き放った。リオノーラは彼にぎゅっと抱きついてしまう。

「アラステアの、熱い。溶けてしまいそう……っ」

 アラステアはリオノーラの体を抱き返し、唇へと口付けた。

「俺に溶かされてしまえばいい」

 リオノーラは照れてしまい、アラステアの肩に顔を埋めた。動く気になれず、そのまま彼と繋がったまま休憩してしまう。

「これからずっと、一緒にいてくれる?」

 リオノーラが問いかけると、アラステアは頷いた。

「あぁ、ずっと一緒だ」

「良かった。ずっと、一緒にいてね」

「当然だ」

 リオノーラは満面の笑みを浮かべた。だがそれとほぼ同時に、押し倒されてしまう。

「……アラステア?」

「もう元気になった。するぞ」

「え!」

「お前が可愛いことを言うのが悪い」

 反論をする前に、リオノーラはアラステアによって愛されることになった。

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