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エピローグ
~ひねくれ公爵様、私と結婚していただきます~

 エルーテが目を覚ますと、日は完全に真上にあった。ラルケスは朝まで放してくれず、エルーテはこれ以上ないほどの快楽を与えられたのだ。
(ラルケス様、いない……)
 隣で眠っていたはずの彼は既におらず、シーツは冷たくなっていた。エルーテは鈍い腰の痛みに耐えつつ、寝台を下りる。エルーテが眠った後にラルケスが服をきちんと着せてくれたのか、エルーテは寝衣をきちんと身に纏っていた。
(湯浴みをしよう……)
 そう思って部屋の出口へ向かおうとしたのだが、テーブルの上に見覚えのある本が置かれていることに気がついた。観察記録と題されたその装丁から、ラルケスの手記だとわかる。
(……黙ってこっそり見るのは心が痛むけれど……)
 エルーテはどんなことが書かれているのか、非常に気になってしまった。彼の手記にはエルーテ自身のことが記されており、毎回動物に例えられているからだ。
「今度はどんな動物にされてるのかな……。可愛いのがいいなぁ……」
 わくわくしながら本を開いた。そして、あるページに目を留める。そこには、エルーテが実家へ戻るため、ラルケスに黙って出て行った日のことが記されていた。
「えっと……、漸く懐いてくれた小鳥が、私の手元から飛び去ってしまった」
 そう書かれていた。その文章から、彼がとても傷ついたことを理解する。仕方がなかったとはいえ、エルーテは非常に申し訳ない気持ちになる。
(ラルケス様、きっと寂しかったよね……。ごめんなさい)
 そのままページを順番に捲っていき、最も新しい日付けを見た。
「これって、今日の日付け……? じゃあ、今日書いたということ?」
 エルーテは、まだインクの匂いが残るそのページの文章を読んだ。
〝愛しい愛しいエルーテ。彼女ほど美しく健気で、私を夢中にさせる女性はいない。私はもう、彼女なしの人生は考えられない。彼女こそ、私が待ち望んだ最愛の女性〟
 愛を語る文章に、全身が熱くなった。
(え……、ラルケス様、心の中で、そんなことを? 普段私を、そんな風に思っていたの?)
 次に彼と会ったとき、どんな顔をすればいいのか。予想外の文章に、胸がドキドキして戸惑う。
「ん? ……あれ? まだ続きがある」
 ページを捲り、そのまま読んだ。
〝エルーテへ。あなたがこの手記を、私に黙って勝手に読んでいることは、初めから知っていますよ〟
 一気に青ざめた。しかもその直後、背後から誰かに肩を叩かれる。
「あなたは悪い子ですね。私の物を勝手に見るなんて」
 ラルケスだった。エルーテは悲鳴をあげて、その場に座り込む。
「ラルケス様……」
 彼は嫣然とした笑みを浮かべていた。いつ部屋の中へ戻ってきたのか。エルーテには気配すらわからなかった。
「傷つきました。私が秘密で綴っていたものを、無断で読むなんて。どう償ってくれるんですか?」
 彼に手を差し出され、エルーテはその手に掴まった。立ち上がるのを手伝ってもらうのだが、気まずすぎて彼の顔が見られない。
「ご、ごめんなさい……。つい、出来心で……」
「では、お詫びになにか差し出してください」
 彼に差し出せるものを考え、はたとした。この状況はおかしいのでは、と思ったからだ。
「ラルケス様が人に見せたくない大事なものを、不用意に置きっぱなしにしているとは思えません。もしや、私が読むように、わざとそう仕向けたのではないですか?」
「おや。失礼ですね。私も人間ですから、ミスを犯すことぐらい、ありますよ」
 絶対に確信犯だとわかった。だがそれを証明する手立てはない。
「……、ラルケス様が仕掛けた罠とはいえ、人様のものを勝手に読んだ私が悪いですね。反省します。……差し上げるのは、私の左耳でいいですか?」
 寝所で、彼はエルーテの耳が気に入っていると言っていた。ラルケスはその提案に、満足げに喜ぶ。
「物わかりがよくて、結構ですよ」
 このペースでいけば、いずれ本当に全身が彼のものになるのだろうと、容易に想像できた。
「……そういえば、どちらへ行かれていたんですか?」
「湯浴みをしてから、仕事をしていました。あなたも湯浴みをしてくると、いいでしょう。その後、一緒に食事をしましょう」
「はい」
「あと、あなた宛てに手紙が届いていますよ」
 エルーテは彼から手紙を受け取った。差出人は兄のイザール。すぐに手紙を読むのだが、どうやら近況報告のようだった。
〝エルーテ。久しぶりだな。そちらでの暮らしは、順調かな? ラルケスに全てを任せてあるから、おそらく大丈夫だろう。お兄ちゃんは、そのあたりは心配はしていない。それはそうと、こちらの暮らしでは、大きな変化があった。まず、ニーナの結婚が正式に決まり、近々嫁ぐことになった。相手は、ニーナとずっと恋仲にあった、あの男だ。随分忍耐力があるよ、全く〟
 エルーテは我がことのように、喜んだ。ニーナが愛する相手と結ばれるのを、ずっと望んでいたからだ。
「ラルケス様、もしや私の実家へ援助をしてくださったんですか?」
 持参金がないために、結婚ができないでいたニーナ。
「えぇ」
 援助をするのは、結婚後という話だったはずだ。エルーテは驚く。
「どうして、教えてくださらなかったんですか? そんな大切な話……」
「あなたやあなたの姉のため、というよりも、これは私自身のためにした行為なので」
「ラルケス様の?」
「はい。私はあなたの姉に、あまりよく思われていないんです。なので、恩を売っておこうと思いまして」
 姉は人当たりがよく、温厚な性格をしている。だがラルケスに対しては、妙に態度が冷たいのだ。フィルラング領へ戻った際、ニーナはラルケスとも会ったのだが、なぜかとても腹立たしそうにしていた。しかも別れ際、ニーナはこう言ったのだ。
『ラルケス様も本気になってしまうって、言ったのに。だから早々に諦めて欲しかったのに……っ、全部イザール兄さんのせいだわ』
 彼女はとても、悔しそうにしていた。エルーテはなぜ姉がそんなことを言ったのか、その意味が未だにわからないでいる。
「ニーナ姉様が、ラルケス様を? どうして?」
「私について、可愛い妹を誑かした悪魔、と考えているようです」
 エルーテは申し訳なさそうにした。
「すみません……、姉は、誤解しているんです。今度、姉に伝えておきます。ラルケス様はとても優しくて、素敵な方だと」
「いえ、大丈夫ですよ。あなたにふさわしい相手だと、自分で証明をしますから。あなたの力を借りたら、余計に妹は騙されている、と思われそうですし」
 エルーテは残念そうにした。
「援助をしてくださり、ありがとうございますね、ラルケス様」
「あなたの家族ならば、これから私にとっても大切な方になるので、大丈夫ですよ」
 エルーテは照れ臭そうに、笑った。同時に、益々彼への愛情が深まる。そうして再び、視線を手紙に戻した。
〝最近になって、あの人……、父さんがやっと部屋から出てきた。まるで憑き物が落ちたような表情になっていて、俺やニーナにエルーテのことを教えてほしいと言ってきた〟
 父の話に表情を強張らせたまま、エルーテは首を傾げた。
「私のこと……?」
 どういう目的なのか。エルーテは手紙の続きをすぐに読む。
〝お前が今までどんな生活をし、いかに苦労をしてきたのかを知って、落ち込んでいた。本来なら父親がしなければならない役目を、俺が代わりにやっていたことも知って、謝られたよ。他にも家令や使用人たち、そして領民たちにお前のことを聞いて回っていた。皆がお前のことを誇らしげに語る姿を見て、父は泣いていた。これまでの父からお前が受けてきた仕打ちを思えば、当然簡単に許せることではないだろう。俺や姉妹たちも許しはしない。だがあの人は、少しずつ変わろうとしている。いつかお前に謝りたいと。これから死ぬまで一生、ずっと償っていきたいと。だからもしもお前が許せる日がきたら、家族揃って皆で食事をしよう〟
 エルーテはそこまで読んで、体を震わせた。両目から涙が溢れ、泣いてしまう。
「どうしたんですか?」
 ラルケスが心配そうに抱きしめた。エルーテは彼に身を預けながら、答える。
「……やっと、お父様と仲直りできそうなんです」
「もしもそれが事実だとすれば、凄いことですが……、本当に?」
「はい……。父が、変わろうとしている、って……」
 エルーテは、父がいつか振り向いてくれる日を、ずっと夢見ていた。だがそれは叶わないと、心が折れてからは、諦めたのだ。
「あなたはあの父親を、受け入れられるんですか?」
 エルーテは複雑そうにした。だが笑顔で頷く。
「……恨みがないと言えば、嘘になります。でも私は、お父様を許して皆で幸せになる道を選びます。そうすれば、天国にいるお母様もきっと、喜びますから」
 ラルケスはハッとしたように、エルーテを見つめた。そして眩しいものを見るかのように、少し目を細める。
「……実に、あなたらしい答えですね。では私は、あなたがいつの日か仲直りできるよう、そばで支えて協力しましょう」
 もしも兄からの報告が事実で、父が変わろうとしているならば、エルーテはそっと見守っていきたいと思った。
「ありがとうございます、ラルケス様」
 エルーテは涙を流しながらも、微笑んだ。ラルケスはエルーテの額へ、キスをする。
「……それはそうと、明日は予定を空けておいてください」
「明日……? 特に予定はないので大丈夫ですが、どういった用件でしょうか?」
「宝石商が来るんですよ。今度婚約を披露するパーティーを開くので、あなたが身に着ける装飾品を選びます」
「あ……! そうですよね。婚約の報告をしないと、いけませんよね」
 エルーテはそこで、不思議そうにした。なぜそんなにも準備がいいのだろう、と。
「あなたがこの城へ訪れた時点で、婚約を披露するパーティーなどの準備を裏で進めていたんですよ。事前準備もなしに、開くことはできませんからね」
「え! そんな頃から?」
「えぇ。……私があなたの故郷へ行った際、あなたを妻にほしいという話をしました。あなたのお父様は難色を示して、よい返事をくれませんでしたが。だからあなたが私の領地へ初めて訪れたあの日も、てっきり私の結婚の申し出を断りに来たのだと思いました」
「……そういえば、私が話をする前に、逃げるようにすぐに立ち去ってしまいましたね」
「えぇ。それに関しては、あなたが持参してきたイザールからの手紙で、すぐに誤解だとわかりました。でも、今度は別の誤解が生じていて……。まぁ、私としては、随分楽しませていただきましたが」
 父のせいで、ラルケスはニーナへ求婚をしたと思い込んでいたのだ。しかもその誤解は解かれぬまま、彼は兄と結託をしてエルーテを騙した。
(あの兄様の親友だというんだから、仕方がない……)
 恨めないのは、兄がエルーテ自身のことを考えて、ラルケスと引き合わせたからだろう。イザールはエルーテを守るために強くなり、自分より弱い男の元へは嫁がせないと決めていた。そんな兄に勝ったのが、目の前にいるラルケス。
「そういえば、初めてこのお城へ来たときは、本当にびっくりしました。……ラルケス様が突然、私にキスをしてきて……」
「誤解のないように言っておきますが、責任をとらざるを得ない状況にしてほしい、と手紙に書いて連絡をしてきたのは、あなたの兄であるイザールですよ。口づけに関しては、あなたのお兄様からきちんと許可が出ていました」
 エルーテは兄の顔を思い出して、言いようのない怒りが込み上げた。自らの知らぬところで話を進め、妹に手を出していいと、勝手に許可を出していたからだ。
(お父様に妨害されないよう、無理やりにでも結婚せざるを得ない状況を、作り出そうとしたんだろうけれど……)
 そんな兄の画策に、頭痛を覚えた。
「……あのときのラルケス様は、本当に悪魔に見えました」
 ラルケスはエルーテの顎を、指先で持ち上げた。
「誰彼構わず、あんなことをするわけではありませんよ。何度も言いますが、初めて見たときから、あなたを気に入っていたんです。だから誰かに奪われる前に、私自身が手をつけました。水草を頭にはりつけていた姿も、面白かったですしね」
 エルーテは大仰に溜息をついた。同時に、彼の女性の好みがどんなものなのか、非常に気になる。
(水草を頭につけていたあの姿を見て、気に入られたなんて……。ラルケス様って、もしや女性のタイプが少し……、いや、物凄く変わってる……?)
 複雑な心中になった。その考えだと、エルーテはとても変わっている、という結論になるからだ。だが色々と心当たりがあるので、非常に落ち込む。
(こんな私を見初めてくれたラルケス様に、感謝しよう……)
 エルーテが変わっていると知っていても、彼は全て受け止めてくれるのだから。
「ラルケス様って本当に、ひねくれ者ですね……」
 しみじみと、心から褒めあげた。ここで言うひねくれ者が侮辱と真逆の意味であることは、表情と発音でわかってくれるだろう。その証拠に、彼は優しい表情を浮かべている。
「素晴らしい賛辞の言葉を、どうもありがとうございます」
 エルーテはラルケスの頬を両手で包むと、少し屈ませた。そして彼の目をしかと見据える。
「ひねくれ公爵様。最初に宣言したとおり、私と結婚をしていただきます。だから、どうか覚悟をしていて下さい。私はラルケス様を今まで以上に愛し、尽くします。もしもラルケス様が嫌だと言っても、ずっとずっとそばにいます」
「わかりました。あなたも、覚悟をしていてください。私に愛され、生涯の伴侶として共に過ごすことを。もしもあなたが私のそばにずっといてくれるならば、あなたの愛を得るための努力を惜しみません。これからも、大切にします」
 エルーテは頷いた。
「愛しています、ラルケス様」
「えぇ。私も、エルーテを愛していますよ」
 そうして、二人でキスを交わした。これからも、彼と一緒に歩んでいく。エルーテとラルケスは、互いに微笑み合った。

アンカー 1
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